どんなことがあった日でも、朝は必ずやってくる。それは、たとえ顔が恐く、ヤンキーと勘違いされている男、高須竜児や、体の小ささとその気位の高さから手乗りタイガーと飛ばれる女、逢坂大河においても同じ事。
「……朝か」
竜児は、全人類に等しく降り注がれる日光が、今日も変わることなく世の中を照らしている事に気付き、起き上がろうとして、半身だけで止める。
「……すぅ、……すぅ」
自分の右手が、鈍い銀の光沢を放つ金属で自分とは別の細く白い手、大河の手と繋がれている現状を再確認する。
「……ふぅ」
息を吐き出し、枕元にあった携帯を手に取る。メール、受信メール、とボタンを押していき、現れるのは、
『りゅうちゃぁんごめぇん、やっちゃんすぐに帰れなくなっちゃったぁ。でも今日の夕方には帰れると思うからぁ心配しないでねぇ』
そんな文字。パタンと携帯を折りたたむ。
「……どーすんだコレ」
コレとはもちろん鈍い光沢を、初日から常に放ち続けている手錠の事だ。
「今日から学校だってのに……まさかこのまま行くわけにもいかねぇし……」
本来なら、今日既に帰ってきているであろう先程のメールの主、竜児の母である泰子の持つもう一つの手錠の鍵で事なきを得るはずだった。
数日のこと、とそう思えるはずだった。いや、実際数日のことに変わりは無いのだろうが、学校に行く日になっても繋がったままなのは流石にヤバい。
ふと、大河の方に視線を移すと、その水晶のように綺麗な瞳がこちらを見ていた。
「大河……起きてたのか」
「ん、ついさっき起きた」
そう言うわりには言葉がしっかりしている。普段ならもっと寝ぼけているのに。
「やっちゃんは?」
「ああ、泰子は……」
言葉に詰まる。別に伝える事に躊躇いは無い。では何故言葉に詰まったのだろう。いや、わかっている。『それ』を口にしていいのか、と。そう疑問に思ったから口に出来ない。出来ないから、聞かれたことだけに答える。
「泰子は夕方まで帰らないらしい」
「そう」
短い返答。怒りも、驚きもしない。半ば予想は出来ていた。
「どうすっかな」
だから、今はその先を考える。見つめる先は手錠、と細く白い手。考えなければならないのは手錠のこと。だが目に映るのは自分とはまったく触感の違う、柔らかい大河の手。
「何が?」
今だ大河は横になったまま、竜児に視線だけを向けている。
「コレだよ。今日から学校なのにこんなんじゃ……」
そう言って竜児は、少し手錠を大河の手ごと持ち上げる。大河は、自分の手ごと持ち上げられた手錠を見ながら、
「今日は休む」
小さくそう言った。

***

「はい大橋高校、恋ヶ窪です」
『あ、2年C組の高須です』
「あら?高須君?どうしたの?」
場所は職員室。もうすぐ始まるホームルームを前に、「今日もゆりちゃんファイト」を心の中で呟きながら朝のひと時を過ごしていたのは、我らが独身恋ヶ窪ゆり(30)だった。
『すいません、えっと、今日は体調不良ということで休みたいんですが……』
「体調不良?大丈夫なの?熱は?」
『えっと、まぁ大丈夫、です』
かかってきた電話は受け持ちのクラスの生徒、高須竜児。見た目は恐いが心は優しい真面目な子だということを知ってる先生は独……ゆりを含め少ない。
そんな生徒から欠席の電話なのだが、どうも要領を得ない。
『それでですね、えーっと『あーもう貸しなさい!!』おわっ大河!!』
要領を得ない上に、電話の主まで変わった。この声は、恐らくクラスの問題児、逢坂大河。というか、いつもこの二人が一緒にいるのを良く見るが、まさか毎朝一緒なのだろうか。まさか寝る時まで一緒なのだろうか。
いけない。こんな邪推をしては。生徒を信じなくては。そう、たまたま一緒になっただけ。そう、たまたま。
『おい、担任』
邪推しては……。
『私は、そうね……父親が死にそうだからってことで今日は学校を休むわ。竜児は風邪で欠席。それじゃ……ツーツー』
「………………」
何も言えない。言う気力も無い。邪推はしない。でも今日を乗り切る気力が一気に削がれた。あーあ、今日は合コンだったのに。
ふらふらと席について出席簿を手に取り、高須と逢坂に欠席と入れる。それからすぐに立ち上がり、教室に向かうのだが、教室で二人の欠席を告げた途端、一騒ぎ起きることは、残念ながらゆりにはまだ預かり知ることは出来ない。




「で」
「で?」
「なんで俺達はここにいるんだ?」
「ハァ?アンタ寝ぼけてんの?アンタが出かけようって言ったんじゃない」
場所は公園。この晴れ渡る寒空の中、本来すべき学業を偽りで休み、二人寄りそってベンチに座る。手錠のせいか、離れたくとも離れられない二人は、寒いという理由でお互いがお互いに身を寄せ合っているのだ。
「それは違うぞ大河。俺はどうせなら買い物に行こう、と言ったんだ。今なら知り合いはほとんど学校で見つかる心配も無い。それに流石に冷蔵庫のストックがなくなってきた」
「別にいいじゃない、寄り道したって。減るもんじゃないし」
大河は、繋がっていないほうの手で近場にある木の枝を弄びながら、首はベンチの後ろに反り返るようにして曲げている。
いや、時間的には減っていくんだ大河、とはあえて言わない。ここ数日、大河にしては珍しく本気のお怒りモードを見ていない。見ないに越した事は無いが、あまりに来ないと反動が恐い。
恐いから、出来るだけ機嫌は損ねないようにしないと。
「でもよ、こうやってるとカップルとかと勘違いされねぇか?」
「………………」
枝弄りをしていた大河の手が止まる。
「大河?」
「……何よ」
よっこらせ、と反り返らせていた首を戻す。ふぁさっとその長い髪が舞い、竜児の鼻腔をくすぐる。
「いや、なんでもない」
これ以上、声をかけるのは止めた。機嫌を損ねたくない、という表向きの理由と、もう少し大河を見ていたくなった、という裏の理由から。
「……竜児」
だが、大河はそんな竜児の心境など当然のことながらわからない。わからないから、話し出す。
「私たちが周りから恋人に見えても、実際には違う。これだけ近くにいても、周りの人達から見たら、私と竜児の距離なんて『近いんだろう』ってことしかわからない。夜空に見える星のように」
大河は立ち上がって空を見上げる。まだ星が出てくるような時間では無い。
「空に小さく並ぶオリオン座だって、近く見えても実際には凄く遠い。私と竜児はきっとそんな関係なんだよね」
それは、どういうことだろうか。自分と大河は近く見えるだけで、実際にはそんなに近くないと、そう言いたいのだろうか。
「大河」
もし、大河がそう思っているのなら、それは……。
「それは違うぞ」
それは違うと、否定したい。否定して欲しい。だって……。
「お前はオリオン座なんかじゃない。お前は……地球だよ」
そう思うから。
「お前は自分じゃ自分のでかさを知る事が出来ない地球なんだよ。結構でかいのに、小さいって勝手に思い込んでる。それに地球にはいつも周りに月が一緒にいるさ。ずっと遠くじゃなく、もっともっと近い位置に」
竜児も大河の横に並び立つ。大河が、何か不思議なものでも見るかのように竜児を見つめる。
竜児はぱふっと大河の頭に手を載せ、
「買い物、行くか」
一歩を踏み出した。遅れて続く大河。
そのうち、やや後ろを歩いていた大河が、竜児の真横まで歩を進め、ただだらんとしていた繋がっている手に触れる。
ピクッと竜児は反応するも、歩みに淀みは出ない。大河の手が段々と竜児の手を包み込んでいく。
包み込まれた竜児の手は、大河の手の感触で一杯になる。ここ数日、何度も触れたはずの手が、何処か艶かしい。
少しずつ、少しずつ大河の体が竜児に近づいていき、人の溢れかえる商店街に着くころには、大河はぴったり竜児にくっついていた。
時々、竜児の顔を覗き込むように視線を送ってくるが、決して口を開きはしない。
そん大河に、
「アルキメデスって、どうして発見しちゃったんだろうなぁ……」
そんな言葉を漏らした。
首を傾げる大河に、それ以上の言葉は紡がず、竜児は買い物に没頭していく。
買い物を終えたころには日も暮れはじめ、家に着いたときには真っ暗だった。
既に、高須家の部屋の明かりは点いている。その時は近い。



パキン。小さい音がしてふっと手首が軽くなる。
「はい、外れたよ」
泰子のそんな言葉で、ようやく自分達があるべき自由な姿に戻れたのだと気付く。
「全く、最悪の連休だったわ……」
大河は、こちらを見ようともせず手首をぶんぶんと振りながら悪態をつく。いや、そもそもお前のせいだろうが。
「でも大変だったねぇ、こんなんじゃ満足に生活できなかったでしょぉ?」
「ああ……大変だった……」
竜児は深く頷きながら溜息を吐く。これで、ようやく開放された。そう、開放され、自由になり、普通の生活に戻れるのだ。
「………………」
だと言うのに、この喪失感は何だろう。まるで自分の半身を奪われたかのような物足りなさを感じる。
「……さぁて、帰ろっかな」
そんな、竜児の内心を知ってか知らずか、大河は高須家を後にしようとする。
「あ、おい待て。この連休中に結構お前んちの荷物こっちに持ってきたんだから持ってかないと」
「え〜、めんどくさい」
大河はいつも通りの唯我独尊まっしぐら。そう、手錠をつける前と何も変わらないように接してきている。それが、何か悔しい。この言いようの無い喪失感は自分だけなのだろうか。大河は同じような喪失感を味わっていないのだろうか。
そう考えて、考えるのを止めた。ここ数日ずっとアイツが近い位置にいたからこんな顔に似合わぬセンチメンタルな気分になったのだろう。俺も、忘れなければ。
「仕方ねぇ、俺が持ってってやるから」
そう言って、竜児は一旦自分の部屋に向かう。少しとはいえ外に出る。上着を着なければ。部屋に入ると、机の上に出しっぱなしのMDが置いてあった。綺麗好きの竜児としてはしまい忘れは許しがたい。即座に机の引き出しを開け……。
「あ……」
手を止めた。机の引き出しの中にはノートやプリント、MDケース、そしてこの前の文化祭の写真が数枚入っていた。
その中の一枚を手に取る。それは、大河が文化祭でミスコンに輝いた時のステージでの写真。まだ少し元気の無い表情ではあるが、自分の繕った天使の羽根つきの服は良く似合っていると思う。
写真の中の大河はこっちを見ていない。恐らくカメラなど眼中に無いのだろう。それでも、何故か写真の大河を見てほっとしてる自分がいた。
「おいおい……」
我ながらおかしいと思う。たった数日寝食をともにしただけでこうも自分は人恋しく、いや大河恋しくなるものなのか、と。
ふと、思いついた。竜児は自分の制服のポケットから生徒手帳を取り出し、今の写真を挟む。これで明日からの学校もこれを持ち歩ける。
「しばらくはこうしてるか。なんか、思ったより手首が寂しいし」
そう自分に言い訳じみた弁解をしながら上着を羽織って生徒手帳を戻し、部屋を出る。

***

「ほい、これで全部な」
高須家の隣に鎮座する高級マンション。その一室、大河の部屋に竜児は荷物を運び終える。これで今日のお勤めは終了の予定……だったのだが。
「ん」
短い返事をした大河は、自分の上着を脱ごうとしない。普段なら帰ってくるなりそこらへんにポーンとぶん投げるのに。
「どうした?大河」
「ちょっと、コンビニに行ってくる」
「は?今からか?」
「うん」
予定ってのはいつ変わるかわからない。だってそう言われては男の竜児はついていく他無いではないか。大河も一応は女なのだ。夜道の一人歩きはさせないに越した事は無い。
「何買うんだ?」
寒い夜空の下、二人は殆どくっつくようにして歩く。もうその必要は無いのに、この距離は手錠をつけている時と変わらない。
「何だっていいでしょ……それよりさ、気になってたんだけど昼間言ってたアルキメデスがって……」
聞かれたことには答えなかった大河が、
―――1本のライトが真っ直ぐに―――
竜児を見上げるようにして顔を向け、尋ね……
―――大河に向かって突進して来―――
「あぶねぇ大河!!」
途端、鈍い音。突き飛ばされる。お尻には冷たいアスファルト。反対側には、さっきまで隣を歩いていた高須竜児。ライト―――バイクは一旦停止するも、すぐに何処かに走り出し―――
「りゅう、じ……?」
倒れたまま、目つきの悪いクラスメイトは動かない。

―――大河の、時間が止まった―――




最初に思ったのは、遺憾な事に『寂しい』だった。ついさっきまで感じられた温もりが感じられない事への渇き。だから、
「……さぁて、帰ろっかな」
そう零した。案の定、アイツはついてきた。殆ど何も変わらず、普段どおりに。
それが、何処か悔しかった。こんな寂しさを味わっているのが自分だけだと思ったら無性に腹もたってきた。
それでも、思い浮かぶのは、楽しそうに料理して、掃除して、ご飯を食べて、お風呂に入って、眠っているアイツ。
ほんと、どうかしてると思ったけど、眠ってる時のアイツの顔は自分を抑えきれなくなるほど、心を引かれた。
この顔は、私以外誰も――やっちゃんは知ってるかもしれないけど――知らないんだと思ったら、これも遺憾なことながら嬉しくなった。
ずっと隣通しで、離れたくとも離れられなくて、背中まで何度も流しあって、その時のアイツの中に映っているのは私なんだって、そう思ったら、毛穴がぶわぁってなるくらい……嬉しかった。
白状するなら、もう少しの間繋がっていたいと、そう思っていたんだろう。だから、竜児の携帯にやっちゃんからのメールがきてるのを見たとき、胸が躍ったのだ。
それでも、一度歯車が動き出せば、手錠が外されてしまえば、一緒にいる理由は無くなる。そう、改めて気付かされる。アイツと一緒にいるためには何かしらの理由が必要になるんだって。
だから、私は我が侭を言うのだろう。アイツが聞けるギリギリの我が侭を。
「ちょっと、コンビニに行ってくる」
そこに気付いていたから、出た言葉。アイツのことは良くわかっている。やっぱり、思ったとおりついてきてくれる。
こんなの、ズルイと思う。でも、今日はまだ少しだけ一緒の余韻を味わいたかった。
―――だから、罰がくだったのかもしれない―――
私は、コンビニから帰るまでの間だけでも、アイツと並んでいられる事に気付かない内に浮かれていたんだろう。昼間、竜児がかけてくれた言葉がリフレインする。
『お前はオリオン座なんかじゃない。お前は……地球だよ』
それは、どういうことだろうか。自分じゃ自分の大きさがわからない、と言ってくれたけど、真意は別にある気がする。だから、竜児が漏らした言葉を尋ねたんだ。
「気になってたんだけど昼間言ってたアルキメデスがって……」
でも、アイツから返ってきたのは、答えでも、苦笑でもなく、
「あぶねぇ大河!!」
叫び声と衝撃。お尻に冷たいアスファルトが触れる。でも、問題はそんなことじゃない。
目の前には竜児が倒れたまま。
目の前には竜児が倒れたまま。
目の前には竜児が倒れたまま。
そこからはもう、何が何だか覚えていない。
気付けば自分もいつの間にか病院にいた。いつの間にかそこにいたやっちゃんが、
「大河ちゃんはケガ無いの!?」
と聞いてくれたが、上手く答えられたかわからない。自分のことよりも確かめなければならないことがある。
今、私の目の前には病室の扉。プレートには『高須竜児』の文字。
私は、躊躇いがちにその扉を開けた。
すると、ベッドには半身を起こしたアイツ。私に気付いたのか、こちらを向いた。
「……竜児」
ようやく、アイツの名が口から出た。

***

「ん……」
目を覚ます。やや暗い部屋。ここは何処だろう。よっと上半身をベッドから起こす。
「おわっ!?って何だ、俺か……泣けてくるな」
目の前の壁には鏡があり、頭に包帯を巻いたヤンキーが映ってる、と思ったら自分だった。自己嫌悪もいいところだ。
キィ……。静かに、扉が開く音がする。そちらに顔を向けると、
「……竜児」
見知った顔があった。
「良かった……良かった竜児。気がついたんだね。もう、このバカ犬!!心配させんじゃないわよ!!」
何だか知らないが、やや半泣きになりながら俺にすがりついてくる。
「いや、なんの事かよくわからないんだが、とりあえずすまん『逢坂』」
途端、空気が凍る。
「……りゅう、じ?今、何て……」
大河は、信じられないものを見るような目で竜児を見つめ、頭に包帯を巻いた竜児は、不思議そうに首を傾げながら、
「『逢坂』?どうかしたか?」
いかにも、あたかも、『それ』が普通なように話かけてくる。

大河の時間は、まだ動かない。

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