日曜の夕刻、泰子の食事を作ってやる前に、竜児は自分の部屋にコットン・レースを
重ねた白いふわふわのワンピースと少年野球のユニフォームを並べて、ぎらぎらと怪
しく光る目を狂おしく走らせる。

ワンピースちゃん、今日はお尻のところが汚れちゃいましたね。大丈夫だよ。俺がき
れいにしてあげるからね。このまま洗濯すると砂が取れなくなっちゃうから、まず、
砂を取り出そうね。一粒一粒、きれいにとってあげるからね。それから染み抜きをし
てあげよう。ちゃんと真っ白にしてもとのふわふわにしてあげるからね。君は俺の大
切な大河の体を包むんだから、シミひとつあっちゃいけないんだ。わかるよね。

それからユニフォーム君。君もきれいにしてあげるからね。泥も草よごれもきれいに
落として、大河の香りもきれいに落としてあげるよ。たけし君はいい子だけど、俺以
外の誰にも大河の香りを教えたくないんだ。大丈夫、たけし君も俺の年になったらこ
の気持ちがわかるさ。あ、彼女が出来たらだけどね。

ワンピースとユニフォームが震えたように見えたのは、きっと窓から入ってきた風の
せいだ。

立ち上がると、竜児はスチームと染み抜き道具を出すために押し入れを開ける。今日
は久しぶりに高須流洗濯術の腕を存分に振るうことができる。浮き立つ心に我知らず、
鼻歌など歌ってしまう。

作詞作曲:高須竜児。「お洗濯の歌」

まっ白け〜な〜♪

■ ■ ■ ■ 




未知の惑星に不時着した宇宙船のクルー達による、男だらけの、しかし嫌に思わせぶ
りなサバイバル・ストーリーは、第10話になってもちっとも面白くなかった。

「おい、北村。この放送なんとかならねぇのかよ」

昼休み、机をあわせて一緒に弁当を食べている親友に竜児が愚痴をこぼす。

「まぁまぁ、愚痴るな。週2回の辛抱だ。それに生徒会は演劇部の放送に口を挟まな
いことにしているんだ。やぶ蛇になりかねないからな。なぁ」
「ああ、そうだ。『あなたの恋の応援団』が中止になるのはともかく、俺にお鉢が回
ってくると困る」

話を振られた村瀬が軽口を叩く。北村が少しむっとする。

「馬鹿をいえ、あんな人気番組が中止になったりするものか」

お前、すこしは冗談を流すことを覚えろ。と、竜児は独りごちる。それにしても、こ
のラジオドラマを聞いている生徒なんかいるのやら。潜在的リスナーと言える、かな
り特殊な趣味を持っているらしい女子の一団ですら、

「昨日、妹が友達から聞いたって言ってたんだけどさ、やくざが小学生に無理矢理キ
スしてるのを見た子がいるんだって。小学生の男の子によ!」
「ええー?!何それ任侠なのBLなのショタなの?」
「新ジャンル、キターッ!」

と、いっこうにラジオを聞く気配無し。ま、しんとなってみんなが耳を傾ける北村の
ラジオの方が異常なのだ、と考えていると北村が

「なんだ、逢坂じゃないか」

と、入り口の方に手を挙げる。竜児達をみつけて入ってきた大河は

「北村君、村瀬君」

と、手を振った後、竜児に困った様な顔をして、

「ね、一緒にお弁当食べていい?」

と聞く。かすかにざわっと、教室が揺れる。2月に大エスケープをかましたせいで、
竜児と大河の仲は3年生のほぼ全員にばれているが、ばれているから注目されなくな
るわけでもない。ぽっと顔が赤くなるのを必死で抑えて

「お、おう」

と、椅子を勧めてやる。正面に大河。やっぱいいな。俺の弁当じゃないのは残念だが、
そのお母さんの手作り弁当も気になるぞ。

「どうした逢坂、浮かない顔だな」

大河のミートボールに狂おしい視線を注いでいる竜児をよそに、北村はさすが生まれ
ついてのリーダー資質。大河の表情を読み取ってきちんとケアする。

「あのね、みのりんに追われているの」

はぁ?と竜児もミートボールから視線をあげる。




「いつも追っかけ回しているのは、お前だろ」
「うん、それがね」

ばーん!とすさまじい勢いで入り口が開け放たれ、全員が振り返った。入り口には、
噂をすれば何とやら、櫛枝実乃梨本人が立っている。そして、おぅ、と声をかける暇
も与えず

「逢坂……大河ーーーーーーーーーーーーーーっっっ!」

陽気な笑顔で大音量の雄叫びをかまし、教室にいる全員をだまらせる。続いて、どこ
で仕入れてきたのか

「殴り込みじゃあああああっっ!」

その場にいる数人に強烈なPSTDを揺り起こす一言を発した。

わざとだ、絶対わざとだ。試合で相手の気をそぐ訓練でもした成果だろうか。事実、
北村は胸を押さえて冷や汗を流しながら口をぱくぱくさせ、竜児は顔の右半分だけひ
っぱげそうなくらい引きつらせ、大河は頭を抱えて目を白黒させている。つまり、う
るさそうな3人をひとことで無力化した。事情を知っている村瀬も軽い引きつり笑顔
だ。

教師がやったら解雇モノの酷い仕打ちでその場を制圧し、実乃梨はいい色に日焼けし
た少女を従えてルンルンと教室に入ってくる。そして目を線のように細めて楽しげな
口調で

「逢坂大河ーーー出てきやがれぇ♪ あ、ここにいたのねん」

大河の後ろ襟をぐっと掴んでにっこり。

「さ、部室でお話しよ!」
「竜児〜助けて〜」

いつものまっすぐに助けを求めてくる大河の表情に竜児が我に返る。

「まて櫛枝。いったい何の用だ」
「やぁ、高須君。これから大河とご飯を一緒に食べるのだよ。貸して?」
「大河は俺たちと飯を食ってんだ。一緒にここで食ったらどうだ」

とりあえず下手に出るのは気遣い人生を送ってきた草食系男子ならでは。しかし相手
は前向きエンジン搭載の戦闘的肉食系女子高生である。

「ごめんごめん。でも私の方が先約なんだ。さ、大河、行こう!」

鎧袖一触のもとに竜児を退ける。

「やだやだ、竜児助けて!」




切迫した大河の様子に思わず竜児が立ち上がる。

「おいちょっと待て。らしくねえな。何たくらんでるんだ」

しまった、ちょっと言い過ぎた。

「みのりんは私にソフトボール部に入れって言うの」

全然言い過ぎじゃなかった!

「いやー、大河の運動センスが抜群だって知ってはいたんだけどね、まさか野球セン
スがそれほどいいとは。まったく灯台もと暗しだよ」

あっはっはと笑う実乃梨の後ろで運動部系少女が話を継ぐ。

「逢坂先輩!日曜日の試合、私見てました。あんなスチール見たことありません。惚
れました!ソフトボール部に来てください!」

お願いします!と褐色の少女が頭を下げる。ち、目撃者がいたのか。と舌打ちしてか
らたじろぐ。あの「お前最高だ!」も見られたのか。顔が赤くなった。

「大河、お前はどうなんだ?ソフトボール。したいか?」
「したくないしたくない。部活なんかしたくない。みのりん放してよ。竜児〜」
「じゃ、話は早いな。櫛枝。あきらめろよ」
「高須先輩は黙っていてください」

と、小麦色の少女が言ったのは、きっと予備知識のせいだ。実乃梨に「高須君?やさ
しいよ。全然怖くないよ」とでも普段から吹き込まれているただろう。その上日曜日
のグラウンドで全然活躍しない竜児を見た。なんだ。怖いの顔だけじゃない。見かけ
ばっかり。ある種のスポーツ少女が時におとなしい男子に抱く侮蔑のようなものが、
あるいはあったのかもしれない。

あったのかもしれないが

「ああぁ?」

と、こっちを見た竜児と目があって、反射的に一歩退いた。

目の前の上級生は、かるい前傾姿勢で机に右手をつき、左手はズボンのポケットの中。
怒りに顔を真っ赤にし、ぎらりと光る白目の中で小さな瞳がどす黒い狂気をまき散
らしている。予備知識なんか役に立たなかった。この世には学校が教えてくれないこ
とがあると今知った。乙女の防衛本能は、それまで積んできた修練を軽々と上回り、
日焼け少女に悲鳴を上げさせる。いや〜っ!その悲鳴すら、恐怖で声にならない。

「お前2年か」

ひっ、と喉の奥で音を立てるだけ。

「ここは3年の教室だ。ひっこんでろ」

櫛枝先輩の嘘つき。怖くないだなんて嘘つき!だってあの人、背景ゆがんでるよ。

自分の目が潤んでいることすら気づかないほどびびった可哀想な少女は、そのまま教
室から飛び出していった。




「高須君、うちのかわいい後輩、脅かすのやめてくんないかなぁ」

実乃梨がニカッと笑いながら、目ん球をひんむいて言う。

「なんだ、櫛枝の後輩だったのか。あんまり礼儀知らないんで帰宅部だと思ったよ」

竜児がニタァと笑いながら、目を眇めて言う。

二人とも内心まずい、と思いながら引くに引けない状況になってきた。これじゃ去年
の文化祭の二の舞だ。大河の事となると、いまいちブレーキの効きが悪い二人は、文
化祭の時に大喧嘩をやらかしてしまった。これはその状況そのものである。お互い仲
はいいんだから喧嘩はしたくない。だが、大河のことは譲れない。誰か止めてくれよ。


かつての米ソ冷戦時代のごとく、にらみ合って引っ込みが付かなくなった二人を教室
にいる生徒が固唾を飲んで見つめている。パンを買ってきた生徒も教室に入るなり何
事かと目を丸くしている。一触即発。こういうとき、必要なものは両国に伍するほど
の国力と外交手腕をもった仲裁者だ。

「あ、握手ーっ!」

大河が二人の手を握って無理矢理くっける。大河、国力はともかくお前の外交手腕じ
ゃ…。それにその手は去年だめだったろう。が、しかし。と、竜児はコンマ5秒で頭
を切り換える。お前の努力は無駄にしねぇ。見てろ大河。努力ってのは報われるんだ。





「そ、そうだな。喧嘩してもしょうがねぇ」

大河に握られた右手のこぶしをぱかっと開く。応じて実乃梨も

「そ、そうねぇ。ははは。おいらとしたことが、つい熱くなっちまったぜ」

二人は握手をする。

実乃梨の手のひらは、大河の手のひらと大違いだ。いったい何万回素振りをす
ればこうなるのか。実乃梨が行った努力に胸が熱くなり、ぐっと握手の手に力が入る。
しかし竜児の手のひらも、熱い鍋に鍛えられて皮が厚くなっている。負けないぜ。
ぐぐっと握手の手に力が入る。ぐぐぐぐぐ。うぉ。こんにゃろ、ちくしょ。櫛枝、も
ういいから離せ。なにいってんだよ、高須君こそ離しなよ。お前後輩泣いているぜ、
早く行って慰めてやれよ。高須君こそ、こんなに女の子の手を握ってると、大河に嫌
われるぜ。んぬぬぬ。負けてたまるか。ぐぎぎ。

しかし、手の中で何かがごりっと音を立てた瞬間、竜児は走馬燈の前で土下座してい
た。大河、お前の努力、無駄にしちまったみたいだ…

「いってーーーーーーーっ!」

つんざくような叫び声に、うぉっと実乃梨が手を離してバックステップ。それをびし
っと指さした竜児は

「大河!ソフトボールなんかだめだ!こいつみたいに怪力女になるぞっ!」

と、手乗りタイガーの二つ名で知られる学校一の暴れん坊に涙目で力説。にゃにおう
ぅと顔をゆがめた実乃梨があわてて亜美顔負けの仮面装着。ひまわりのごとき笑顔を
まき散らして

「やだなぁ、高須君冗談きついよ。私が男の子に握力で勝つわけ無いじゃない」

と、誰も信じない取り繕いをする。

「まったくお前達と来たら。喧嘩するときはいつも逢坂のことだなぁ」

いつの間にか平静を取り戻した北村が他人事のように言う。

「しかし、食事時に騒ぐのは感心しないぞ。埃が立つからな」
「「だったら早く止めろ!」」

竜児と実乃梨がびしっと北村を指して突っ込む。ぷっと村瀬が吹き出した。

■ ■ ■ ■ 




「ねぇ、竜児。今日たけし君ちに行くんでしょ?」

「おぅ、ばっちり洗濯染み抜き終わったぜ。お前のもな」

「じゃ、私も一緒に行く」

「そうか、じゃぁ俺の家によって洗濯物とってからな」

竜児のアパートは、大河の新しい家からそう離れていない。だから、よく一緒に帰る。
クラスが変わってから、以前のように毎日ではないが、結構待ち合わせをして二人
仲良く帰っている。変わったのは、一緒に買い物に行かなくなったことくらい。

泰子がまだ帰ってきていないアパートに入る。すぐ終わるので大河は玄関で待ってい
る。きれいに仕上がったふわふわコットン・ワンピースとユニフォームの紙袋を持っ
てくる。私もひとつ持つ!と大河。じゃ、こっち持ってくれよ、とユニフォームの紙
袋を渡してやる。

ふわふわワンピースを渡すと、しっかり抱えてぺちゃんこにしてしまうかもしれない。
と、いうことを大河に言わずに安全策をとる。呼吸をするように無意識に気配りが
できる竜児ならではだ。大河を略奪するつもりの男がいるならば、彼は事前に竜児を
観察し、大河のメンテナンス・コストをきちんと見積もるべきだ。

■ ■ ■ ■ 




たけし君はまだ帰ってきていなかったが、お母さんはユニフォームの仕上がりに驚い
ていた。真っ白どころの話ではない。いくらがんばっても落ちなかった草や泥、お弁
当のソースのシミまでもがきれいに落ちている。竜児は黙っているが、ほつれかかっ
ていたゼッケンもきれいに縫い直した。

「クリーニング代高かったでしょ」
「いえ、全部うちでやりましたから」

の一言が、さらに主婦を驚愕させる。竜児はお洗濯が得意なのです、と、日曜日に大
活躍した女の子が満面の笑みで得意げに胸を張る。

「すごいわ、新品みたいよ。たけしも喜ぶわね。ほんとうにありがとう」

借りたものを返しに行っただけなのに、ずいぶん感謝されて竜児は照れくさそうに笑
った。

よかった。喜んでもらえた。頑張って洗濯してよかった。

■ ■ ■ ■ 




だがしかし。

たけし少年は喜ばなかった。チームの中でただひとり新品同様に白く輝くユニフォームを
着て現れた彼は、友達からさんざん冷やかされる事となったのだ。

「お姉ちゃん、洗濯しすぎだよ」

いみじくも逢坂大河が指摘したように、頑張りすぎるのは高須竜児のよくない所である。

(天気がいいからピクニックに行こう 完)


--> 「You are too beautiful」に続く




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