『ストーカー』

竜児は土曜日、日曜日に加え祝日以外はずっと会社に行ったっきりである。この前私にある話しをした。
初めて作る牛コロッケを頬張りはふはふしつつ、んまいんまい!などと感想を述べている。
お互い幸せな表情を浮かべながら、下らない事を喋っていた。
「俺の先輩によぉ、女なんだけどかなり気前良くてさ。しかも俺にかなり好意持ってるっぽいんだよ。
 好意持ってくれるのは正直嬉しいんだけど、正直迷惑なんだよな…。
 大河、お前ならそういう奴いたらどうするよ?……大河?」

「! しっ知らないわよ!そんな話して私にどうしろっての?嫉妬でもして欲しいわけ?」
「は?お前何か怒ってる…のか?」
「うるさいなーもー!早く食え!冷める!」
「お、おう…それにしてもこのコロッケうまいな。スパイスか何か──」

先ほどの話を聞いてから、食事は喉を通らず返事も曖昧だった。

気になる…どんな人だろう?
気になる…綺麗な人かな?
気になる…いつか竜児も好意を抱くかも?

竜児は首を傾げてハテナ顔をしていた。その顔はとっても可愛らしい。本人に言ったら落ち込むだろうが。

食事を終えて、食器を運ぼうとするも食器を落とし、大皿を一つ割る。

食器を5枚ほど重ねた皿を流し台に落としてしまい小皿を2枚割る。

竜児が洗った物を水切り台に乗せるが、手が滑ってコップを一つ割る。

竜児が「もういいから、テレビでも見てろ」と言ってくれたのでソファに向かうが、
手にしたままであった大皿を指摘され、驚いて落としソレを割る。

過去から見てもダントツな損害記録であった。
気になって居た堪れないので、本格的に竜児を尾行する事にしたのである。




AM8:20
もうすぐ8月も終わるってのに、まだまだセミは鳴く事を止めず朝からミンミンやかましい。

私が作った愛妻弁当を大事そうに鞄に入れ、いってらっしゃいのキスをして駅に向かった。
その時は赤いチェックのパジャマでいたが、それを脱いで腰にも裾にもフリフリの真っ白なワンピースを着用。

小さな頭にはワンピースによく似合う白に近いグレーのつばの長い帽子。リボンは竜児がつけてくれた。
細い肩には淡い赤色のポーチ。ついでにサングラスも着ける。夏なので目立たないだろう。
もし見られたら長い栗色の特徴的な髪色をしていてはすぐにバレるので、束ねてワンピースに突っ込む。
これにより長い髪はいつもの半分以下になり、姿見鏡でみても不自然ではない。

これらは計画実行の数日前に通販で手に入れた代物であった。

向かいの部屋のおばちゃんが「おはよう。お出かけ?」と話しかけてきたが、
「ええ。急ぎますので」とだけ返事して非常階段を駆け下りてエントランスへ。

エントランスを飛び出すと、早速竜児を見つける。眠そうに欠伸なんぞしおって…。
なんとかここまでバレずに済んだが、途中で何度か振り返ってきた。あわてて電柱に隠れたのでセーフだろう。
駅が見えてくると竜児は定期を手にしてホームに入る。入るとすぐに電車がきたので急いで切符を購入。

竜児が乗った車両の反対の入り口へ駆け込む。中には中年のリーマンがわんさかいた。若者もチラホラ。
加齢臭漂う車両で地獄の15分ほど過ごし、出口から流されるように出る。毎日乗るのは到底できないだろう。
そこで気がついた。竜児が見当たらない。人が忙しく動く中、足を止めて辺りをキョロキョロ。






誰かが肩にぶつかった。それを睨むように見上げる。
「あ、すいません。こんな所で止まってたら危ないですよ」
何ようるさ……て…竜児じゃない…。

怪しく動く狂眼をきょろつかせ、こちらを見ている。しまった、バレた…。
と思えたが、口調では『バレていない』と思う。多分だが。
ストーキングするために買ったワンピースとサングラスだ。大丈夫、大丈夫…。
とりあえず進みましょう、と言うと優しくエスコート。こんな事もできるんだと関心する。
エスカレーターに乗ると、不意に話掛けてきた。
「えっと…どこかでお会いしませんでしたっけ…?そのキャップどこかで…」

「う、うるさいわね…じゃなくて、そうですか?これ駅ビルで買ったんですのよオホホ」
慣れない口調で喋り、自分のアカデミー賞レベルの演技に身をもじる。
「あ、はは…。中学生ですか?学校はいいんですか?」
ちゅ、中学生…。私これでも夫持ちの…と言いかけるが、気がついて口をつぐむ。

「えっとぉ…今日は嵐が来そうみたいな予感がしたんで遊びに来ちゃいましたー」
「は?嵐…?」
自分はアホか─。一瞬苦虫を噛み潰したような顔をするが、ばかちーよろしく笑顔を振りまく。

「あ、そうじゃなくて心の中が嵐みたいに吹き荒れてて学校どころじゃないみたいなー」
すると声を上げてせせら笑う。
「面白いですねそれ。(笑)恋人とかいるんですか?」
(笑)に少し傷つきつつ、予想外の質問に呆気にとられる。

「それセクハラ」
一言冷たい罵声の言葉を浴びせた。誰にでもこんな下らない話をするのかと少し落ち込む。

すいませんと素直に謝り、エスカレーターから降りる。少し面白くなってきたのに…。そうだ!(ピコーン)
大河の頭に豆電球が出現し、それが眩く輝く。




「この後少し、お話しませんか?ほら、あそこの喫茶店で」
「ええ、少しだけでいいのなら付き合いますよ」

ここで、いろいろ自分について尋問するつもりだ。しかし、すぐに後悔した。
いくらカバに犬の直感の一部を付け足したくらいの鈍感野郎でも、流石に気づくだろう。
今更後戻りもできない…覚悟を決め、絶対墓穴を掘るな、と肝に銘じる。

「では、あそこの喫茶店はどうでしょう?」
なるほど、竜児が指すのは駅にある小さな喫茶店。待ち合わせ場所や電車の待ち時間に利用する人が
多いのだろうか?やや込んでいるように思える。

「そうですね。では行きましょうか」
と、いつもの調子で竜児の腕に自分の腕を絡める。いきなり墓穴…。
「っとー!危ないこける所でした。あ、すいません腕なんか掴んじゃって」
すぐさまフォローし、腕を放す。竜児は苦笑いしているが、ホッと一安心。

店に入ると涼しい風が2人と覆う。中は黒と白の二点張りで、品があり落ち着いた雰囲気。
中は人が多いが別に特別込んでいる訳でもなく、所々空席がある。





「ひぃ!…い、いっりゃしゃいましぇ…あ…」
店員がビビるのは想定内だが思い切り噛むのは想定外。
2人とも思わず吹き出し、笑いに包まれる。
大学生らしきバイトの店員さんは頬を染めながら丁寧に言い直し、席へ案内する。
もちろんキャップもサングラスも外すつもりはない。一瞬でバレるだろうから。
席は窓に面したカウンター席。テーブルは清潔そのもので、竜児はテーブルを指でツイっと人拭き。
己の指をまじまじと眺め、うん、と一人頷いている。
そこへ店員が来た。メニューはお決まりですか?アイスカフェオレで。あ、私もそれとチーズケーキ。

竜児は肘をつき、通路を行きかう人達を眺めやっている。
暑いですね〜。そうですね〜。化粧とか大変ですよね〜。私はいつでもスッピンです。
下らない話をだらだらと話し、微妙な空気が2人を取り巻く。
「あの、さっきの話の続きなんですけど。なんであんな事私に聞いたんですか?」

青く光る狂眼をギラつかせ、「てめえ次その話すると分かってるな」
と言うと己の親指で己の首を掻っ捌くフリをする…わけでもない。単純に困惑しているのである。
「えっと…何か気に障りましたか?だったらすいません」

そういうのである。全く、眼からレーザーが出て向かいのガラスをすり抜け、通り行く人々の中から適当に選んだ
人間を一瞬で次元転移させてしまいそうな顔してるくせに…。
なんて弱弱しいんだろう。なんて女々しいんだろう。そこへアイスカフェオレとチーズケーキが運ばれてくる。
「あーそうじゃなくて、ただ単純に質問しているんです。何か気になった事でも?」
「実は私の身内にあなたによく似ている人がいるんですよ。容姿も声も服装も」
「もぐもぐ、へぇ…親戚かなにかですか?」
「あ〜いや…実は自分の嫁さんでして。20歳なのに身長が150あるかないかという奇跡に近い容姿の持ち主で」
そんな宇宙からやってきたサイヤ人の赤ちゃんみたいな言い方しなくても…。





「もきゅもきゅ、わぁ…小さいですね。お子さんはおられるんですか?」
横目で盗み見すると、どこか寂しそうな表情で『あの女は10万くらいか…』などと考えているわけではなく、
ガラスの向こうを通る3人家族を眺めやっている。ちなみに透視能力がある訳ではない。
「いやーまだなんですよね」
ちょっと恥ずかしそうに顔を下げ、その頬は若干ピンク色。
「ま、まぁそんなに急ぐ必要もないですし。ゆっくり行けばいいんじゃないですか?」
「そうですね、ありがとう。離すつもりはないし…て、俺何話してるんだろ…」
「あはは。そんなに小さいんじゃ、美人というより可愛い系みたいですね」
「童顔ですし、確かに可愛い系ですね。それにしても珍しい…」
チーズケーキを頬張っている大河の顔をまじまじと眺めている。
「珍しい…?何がですか?ごっくん」
「私目つき悪いでしょう?生まれつきなんですけど、ビビらないのはあなたを含め60人程度です」
「もぐもぐ、コンプレックスになってるんですね…確かにちょっと怖いですけど、
 悪いことするような人には見えませんよ。てかいちいち数えてるんですか?」
すると顔をぱぁっと輝かせ、般若顔をこちらに向けてくる。その顔を見た後ろの席の子が気絶した事も知らずに。

「ほ、ほんとですか?そんな事言われるのは初めてです。嬉しいな〜」
まさに子供。ふんふふ〜ん♪などと鼻歌を歌い初める始末。
「ところで時間大丈夫なんですか?もう9時ですけど」
「おう…もうそんな時間ですか。つい話し込んでしまった」
そう言うと、前に置かれたペーパーをとり、大河が零したチーズケーキのカスをふき取る。
席を立ち、椅子を元に戻す。会社で30分までにチェックインしないと遅刻になるのは把握済み。

会計を済ませようとするが、既に用意してあったのだろうか、素早く札が出てくる。
「あ、なんかすいません…。ありがとうございます♪」
「いえいえ、大人なのに払わない方がおかしいと思いますよ」
つまり、自分が子供だと…。バレるよかマシかな、と一人ごちる。
「…では、私はこっちですので。また機会があればお話致しましょう」
「はい、ごちそうさまでした、とても楽しかったです。また、どこかで!」

そう言うと、手を振りつつ小走りで適当な店に身を隠す。ひょっこり顔を出すと、竜児が改札を通るのが分かる。
それを確認すると、またしても小走りで改札を抜け、竜児の後を追う。
15分ほど歩くと会社についた。会社の前で服装を整え、中に入って行くのを確認する。
ここまでは計画通り。近くのコンビニで午後の紅茶と女性向け雑誌を購入し、
近くの適当なデパートで新しく黒く今まで着けていた者と似ていたそれを購入。今まで着けていた物と交換し、紙袋に入れる。




近くのベンチで雑誌を読み時間を潰して1時間ほどたつと、外回りのため竜児が出てきた。
先輩と思われる女性とともに。思わず息を飲む。
見事な8頭身美人。スタイルも顔立ちもどこか気品がある。
紺のスーツに身を包み、腰のラインも伺える。
漆黒で長く艶がある髪を揺らし、竜児に楽しそうに話しかけているのが分かる。
じりじりと太陽が照らす。日焼け対策はばっちりだが、汗は自然と頬を伝って顎へ。平らな胸を完全無視し、
地面に落ちる。一瞬でそれは蒸発し、あたかもなかったような状態になる。

大河はこの計画を実行するまでいろいろな手ほどきをしてきた。
インターネットで『ストーキングの心得』とかいう危なっかしいサイトを回り、
会社の場所や切符の代金、何時の電車に乗るのかも全て調べ上げた。
時間を費やしすぎたとも思うが、これも竜児の事をよく知るため。別に疑っているわけではない。
しかし、この状況はどうだろう?ただの嫉妬と竜児をとられまいという貪欲さ。横暴さ。
その結果がこれ。自分の状況は実に情けないものであった。
『夫をもっとよく知るため』などと防御を使っているが、ただの言い訳であった。
ドラマやら警察24時やらでストーカー特集をやっているのをよく見かける。
見るたびに『バカみたい』と思っていた。しかし、今の自分はどうだろう?
テレビで取り上げられているものとは違えど、ストーキングはストーキングである。なんら変わりない。
所詮は『相手を信じれない、器の小さい人間』なのである。自分が一番分かっているつもりだ。


その時間帯は人通りが少なく、道路を挟んで7メートルの距離でも2人の会話が聞こえてくる。
どうやら取引先との作戦について話しているようだった。
30分程歩くと、小さな印刷会社に入って行くのを確認できた。
確か、新製品の和紙か何かを大量注文するかを迷っているらしく、今日思い切って取引に行くらしい。
電柱と丁度腰を掛けられる高さの段があり、そこで身を隠しつつまた時間を潰す。40分ほどで出てきた。

2人は見送りの人に頭をペコペコ下げ、少し歩いた所で2人で大きく伸びをした。
声は来る時よりハッキリ聞こえ、竜児の声にも明るさが宿っているのが分かる。
そして恋人かのように女のほうが竜児の腕に自分の腕を絡ませる。竜児は苦笑いの表情を浮かべている。
「いやぁ〜、先輩の話術で手っ取り早く片付きましたね〜!」
「そうね、これでノルマ達成したんじゃない?」
「だといいんですがねー。もう印も押しましたし、交渉成立ですね」
「たまに、業者に注文してからドタキャンしてくる所があるのよ。でも今回の印刷会社は、
 うちの会社でも信頼度が高くて。ああするといい、こうするといいって言ってくれて、
 案をくれるの。それを元に作るものは結構な繁盛で売れるの」
自信満々に『心配はいらない』と言うと、スッと腕を放す。
「おぉ、そうなんですか。それ聞いて安心しました」
「ちょっと疲れたわね。喫茶店でも入ろっか」






『な、ななななんてことかしら。あろう事か腕なんか組んじゃって…。しかも知らない女なんて…
 みのりんやばかちーが悪ふざけするのは百歩譲ってよしとしても、あんな、あんな……』
小さな胸をズキンと痛める。しかし竜児の事だ、大丈夫だろう。と自分に信じさせるが、
竜児の顔をよく見ると鼻の下を伸ばしている。信じた自分がバカらしい。
帰ったら往復ビンタの後椅子に縛って鞭打ちの刑ね…と一人ごちる。昔なら死刑ものだったから優しいほうだろう。

店に入ると早速店員を恐怖のどん底に突き落とし、先輩は大爆笑。
腰が抜けても営業スマイルでよろよろと席へ案内。2人には広すぎるテーブルに案内されるのを確認。
大河は外から観察する予定だったが、動物的直感で「行け!」と脳から指令が出る。
自分でもよくわからないが、とりあえず店に入る。それと同時に竜児が席を立ち、トイレへ向かう。
自分の直感に惚れ惚れしつつ、店員を無視して近くのカウンター席に座る。

選んだのはカウンター席で、前かがみになると柱で竜児の視線から憚れ、背もたれにもたれると横顔が見える。
柱は竜児が見えなくなるくらいの細さで、女の方も伺える。
なにやら昼飯を食べるようだ。一度会社に戻らなくてもいいのだろうか?と疑問を抱きつつ、
自分もお腹を空かせていたので、オムライスとカレーに加えビーフシチューも追加。コーヒーのブラックも頼む。
食後にパフェを頼もうとするが、いいのがないのでやめた。
注文を終えると同時にあちらも注文を終えたようだ。

大きいサングラスで横目で見つつ、他人からの視線をシャットアウト。無論、向こうからは見えない。
「(ったく…知らない女と食事なんて遺憾だわ…先輩の誘いを断れないのはしょうがないわ。上司だもの。
 でもでも、食事するなんて!私でもお昼のひと時なんてお休み以外できないのに…。
 それなのにあの忌々しい女ときたら!きっと毎日毎日一緒に違いないわ…)」
一人ごちると、悲しみと悔しさと『裏切られた』と解釈し、不思議な心境で2人を盗み見する。
竜児は本当の笑顔なのだろうか?それとも愛想がいいように見えるための作り笑顔なのだろうか?
いづれにしろ、大河には見せない笑顔だったのである。
大河は竜児のいろいろな『笑顔』を見て来たつもりではあったが、
自分に見せるものとは一味違う、『大人』な雰囲気を醸し出すものであった。




大河へコーヒーが運ばれるのと同時に竜児達の席へもコーヒーが出される。
竜児は受け皿に載せてあった小さなミルクをカップへ零している。
そんな些細なシーンでも、誰が見ても『恋人』に見えてしまう。大河の目にも当然そう映る。
大河と竜児が同じ席でいても、『仲の良い友達』か『兄弟』にしか見えない。
それは自分の容姿が幼すぎるせいだろうか。自分では少しでも他人から『恋人』と見てもらいたいために
服装を選ぶ時間は掛けているつもりだし、もちろんそれ相応の物を持ち合わせているつもりだ。
あーんでもしないと分からない?できるはずもないシーンを想像し、頬を染める。

そこではた、と気づく。なんだあの目は──?
それは、竜児の向かいに座る大人びた忌々しい八頭身美人。
小さなスプーンでコーヒーにミルクを溶かす様子に甘い視線を送り続けている。
そこで口を開く声は、大河の元へもはっきりと聞こえてくる。
最初は世間話に豚インフルエンザがなんとかかんとかとくっちゃべっていたが突然、
「高須君ってさ、もてるでしょ」

こんな下らない事を言う奴は大概人間性に欠けている。竜児も大河も同じタイミングでコーヒーを吹き出す。
ギラりと光る三白眼を相手へ向ける。
竜児は頭の上にハテナマークを発生させ、その瞬間大爆発。辺りは地獄絵図に─。なるわけでもなかったようだ。
「は?いきなりなんすか?」
「あなたって眼は出所してきたヤクザの親玉みたいな目してるけど…ホラ、目を閉じてみて」
言われるがままに目を閉じる。
「ほぉ〜らやっばり!目を除けば普通にイケメンなんだよね。趣味悪そうだけど」
大河のせいで貧乳フェチに成りかけているのでなんとも言えない。
目を閉じていたが、不機嫌になり、無愛想な面でスプーンをペロっとひとなめ。
「あ、もしかして怒った?…でもさ、奥さんが羨ましいよ。ほんとに」
大河は一瞬肩を震わせる。ここにいますよー。と言いたい衝動を押される。
「はは…。でも最近冷たいような気がするんですよね…。3日前も突然喋らなくなったし…」



いや、それは竜児があんな事を言うから…。もしかして自分の愛が相手に届いていない?
その時初めて作ったコロッケだって、インターネットで検索して、やり方を印刷して、
出かけている合間に何度も何度も練習し、思索して完成させた一品なのに…。
そんな事も知らずにあんな事を抜かしやがる。鞭打ちだけでは済まなさそうだ。

「でもさ、あなた入社面接の時と比べて本当に明るくなったよ。
 出勤するたびに笑顔が増えていって、最初は怖がっていたみんなも笑顔になれてるんだよ。
 気づいてないと思うけど、皆あなたに少しながら感謝してる。気が利くし、なにより──」

大事な部分だけ聞き逃す自分に腹が立つ。オムライスが運ばれてきて気を取られたのである。

その後30分ほど聞き耳を立てたが、これと言って気になる話題はなかった。

会社へ戻る時はこれからランチタイムになる人が多く、お魚天国よろしく人で賑わっていた。
どこ行くよ?うわー部活だりーここのランチ美味しいよなんて他愛もない会話で満ち溢れている。
当然、2人の声は周りの騒音でかき消され、聞こえない。

ドンッ。何かが肩にぶつかった。そこにはきつい香水が鬱陶しい、長い青色の髪も鬱陶しい若者がいた。
気にせず2人の尾行を続けようとするが、一瞬見た顔にかなりの見覚えがあり、もの凄い勢いで振り返る。
「てて…あれ、もしかしてタイガー!?なんでこんな所にいんのー!?」
ぶつかった勢いでサングラスがずれ、顔が見えてしまったのだろう。ささっとグラサンの位置を元に戻し、
「ひ、人違いですよ。すいません、急ぎますので…ひゃー!」





湿った手で腕を掴まれ、思わず呻き声を漏らす。
自分の腕を掴んでいる相手は誰もが認めるアホの春田。名前が既にバカっぽい。
「あ、やっぱりタイガーじゃん!今日はどったの?高っちゃんに黙ってデート?」
「う、うるさい!目潰し目潰し!」

ひゅひゅひゅひゅと両腕をチョキにした状態で何度も攻撃を繰り出すが虚しく、
第12の目潰し技『瞬発瞬殺秘奥連発目潰し』と糸もたやすくかわす。
「ちょっちょ!なぁにすんのよタイガー!なんでいきなり目潰しなわけ!?」
「うるさいうるさい!その毛毟り取ってそこらの足りないおっさんに与えるぞ!」
通行人の哀れ髪の毛の一人がムッとした顔でこちらを睨む。
隙あり!
「あ、すいませぎゃああああああああ」
誤ろうとした春田の目を人差し指と中指が襲う。
人通りが多いこの場所で、両目を押さえてムスカよろしく「目がぁ、目がぁ〜!あぁぁ〜!」と叫んでいる。
地団太を踏み、転がり、目を真っ赤に充血させ、通行人をビビらせている。この顔面凶器が。

ようやく落ち着いたのだろう、春田はいつものふざけた喋り方で話しかけてくる。
「も〜!折角タイガーも誘おうと思ったのにー!」
そう言うのである。何が?と聞き返すと、
「知らないの?これから元2-Cの懐かしのメンバーで遊びに行くんだよ!タイガーも来る?」
「…ん。(どうせ竜児は夕方まで帰らないし、ちょっとくらいいいかな)行こう…かな」
「よぉ〜し、じゃ行こっか!高っちゃんか仕事があるみたいだし…」
「なんで日曜にしなかったわけ?バカなの?」
「…バカって…。これでも俺就職したんだぜ〜?日曜は皆都合つかなくてさ。だから今日にしたんだよ」
「へぇ。で、どこに行くの?」
「カラオケ」
普通すぎる、と感想を述べ、カラオケBOXへ。



会った場所からそう遠く離れていないそこへ行くと、入り口の階段前に見慣れたメンバーがいた。
真ん中に北村。その左に櫛枝、そのまた左に亜美。北村の右には能登がいた。
「よう逢坂…じゃなくて、高須…う〜ん、どう言えばいいんだ…」
「おー大河!メールじゃ結構話すけど会うのは久しぶりだねー!」
「北村君にみのりん、久しぶりだね。いつも通り『逢坂』でいいよ」
「おぉそうか、それは助かった。高須は今日はこれないんだってな。残念だ」
竜児といて笑顔を自然に作れるようになった大河は、誰に対しても笑顔を振りまけるようになっていた。
それでも、顔見知りのみに限るが。
「仕事だもん、仕方ないよ。みんな、本当に久しぶりだね(にっこり)」

すると能登、北村、亜美が大河に背を向ける。
「(祐作!どうなってんのよタイガー!あの子昔はもっとツンツンだったよね!?)」
「(亜美…。逢坂は俺達の知らない所で成長してるんだ。真実を受け入れようじゃないか)」
「(ほ、惚れた…。でも、タイガーは高須のだし…。うぅ、俺一人ぼっちだ、うぅ…(かわいくない))」
振り向いた北村は皆を店内へ促す。櫛枝はにっこりスマイルで鼻血を吹き出して放心状態になっていた。

急な階段を上ると、中からはクーラーの冷気が全員を包み込む。
途端に全員が声をあげる。化粧が台無し…だとか太陽まじ死ねだとか理不尽な事ばかり言っている。
ちなみに、愚痴を零すのは大河も例外ではない。

部屋を決め、マイクやら本やら入ったカゴを渡される。
北村がそれを持ち、部屋へ向かう。
「お、ここだここだ」
「うわぁ、随分狭いね。亜美ちゃんこんな所にいたら暑くて脱いじゃうかも」
ここで顔を歪ませていた能登と春田の顔がパーッと輝く。
「「おぉ!プール以降見れなかった亜美ちゃんの肌!胸!うなじ!無修正だ…」」
「はぁ?何言ってるわけ?亜美ちゃんは、全国の汚らしいファンが悲しくて死ぬかもしれないから、
 こんな所では断じて脱ぎません。残念でした☆」
すっかり腹黒さを隠さなくなった亜美がそう言う。知り合いの前だけであるが。

中は本当に狭かった。4畳くらいの部屋に、ソファやらテーブルやらテレビが置いてあるので、
本当にすし詰め状態である。北村が真っ先に壁に掛けられた受話器を手に取り、
全員から聞いた品を次々と注文している。注文を終えた北村は、
「ふむ、確かに6人では狭いな。まぁ動けない事もないだろう」
汗を流すの大好きっ子な櫛枝は、一人気分上々である。
「よっしゃー!一番乗りは私だぁー!」
すると本も見ずに、物凄いスピードでリモコンのスイッチを連打する。
「お、おい櫛枝。お前番号見なくてわかるのか?」
「当ったり前さボーイ!さぁ、いでよ残酷な天使のテー……あれ」
テレビに表示されたのは、見慣れないハングル文字。下に──愛故に──などと臭い文字が表示されている。
「え、えっと…キャンセルボタンはと…」
「櫛枝!元ソフトボール部のキャプテンがそんな事でいいのか!?根性を見せてみろ!」
「うぇー?…ちくちょー!やったるでー!」
始まったメロディは、不規則なテンポで、どこぞの訳の分からない民族の音楽みたいだった。
ハングルなど歌えるはずもなく、他のメンバーから笑いの声が飛ぶ。
すると櫛枝は燃えてきたのだろうか、目に炎を宿し、腰を振りながら
「亜w背drftgyふじこlp;@:」




訳がわからない意味不明な奇声を上げ、全員顔が蒼白になる。櫛枝も真っ赤になっている。汗が吹きだしてきた所で、
「お、落ち着け櫛枝!」「みのりんもうやめて!」「みのりちゃんもういいから!」「櫛枝ぁぁ!!」「キャー!(かわいくない)」
その訳の分からないBGMとともに奇声を上げること10分間。長すぎだろ、と誰もがつぶやく。
歌が終わるとマイクを落とし、いやな音が響き、全員が一瞬で耳を塞ぐ。すると近くで座っていた大河の上に倒れる。
櫛枝はすっかり血の気が引いて、青を通り越し白くなっていた。

「うっうっ…みんなぁ…」
呻き声をあげるその顔は、『負』のオーラで漂っている。
「落ち着け!みんなここにいるぞ!」「みのりんしっかりぃ!」
「うぅ…おら…もうダメかもしんね……」

この時全員が櫛枝の死を悟った。
「えーとドリンクをお持ち致しま…きゃーー!」

扉を開けたアルバイトの経験豊富な大学生が驚くのは無理もないだろう、
一人の赤髪の女の子が中央のテーブルに横たわり、よだれをダラダラと流している。インコちゃんも真っ青だ。
その周りでは全員が胸の前で手を合わせ、お経を唱えていた。
すると不意に横たえられた女の子が目をクワッと開けられ、アルバイトの子に迫る。
「カシスオレンジカモッカモッ!」「はぃぃ!」

カシスを手に取ると、アルコールが少し入ったソレを構わず一気飲み。
机にばぁんっと叩きつける。
「ぷはー、生き返ったぜ!大河、次ダブルス!」
「え?私歌下手だから無理だよみのりん」
「やかましー!巨人の星のテーマじゃー!」
ピピピピピ、とまたしても音速連打をする。不安げにその様子を見詰める。
入力し終わると、マイクが二つあるうちの一つを大河に手渡す。

デレデレデレデレデレレレレ…
「UFO♪」『なんで!?』
その時の全員の突っ込みによりシンクロ率は210%を超えた。



なんやかんやあって、結局18時20分。食事もカラオケで済ませてある。待ち時間に入れたメールの返事が返ってきた。
『竜児、今日何時に帰れそう?』

『今日はいつもより早く帰れそうだ。多分7時には家に帰れると思う』

「にゃああ!!」と叫び、歌っていた者も睡魔に襲われていた者も一斉に振り返る。
「どうした逢坂?猫のまねか?」
「あ、いやそうじゃなくて…。本当はここに来る前は、少し時間を潰そうなんて事しか考えてなかったの。
 でも竜児がもう帰るしいから、私ももう帰るね。楽しかったよ」
床に置いてあったキャップとサングラスを着けて、席を立とうとするが
「ふむ…では我々も行っていいか?どうせ暇だろうし、皆もいいよな?」
全員がコクコクと頷く。



「あ、いやその…なんというか…」
「どしたのタイガー。愛しの旦那様にこの美貌に満ち溢れた亜美ちゃんの姿を見せたくないっての?」
いつも通りの怪しい笑みを振りまく。

「てかタイガーさー、何で今日こそこそ歩いてたわけ?いつもならもっと堂々と歩くじゃん」
「ん?そういえば高須君の会社ってこの近くだよね?」
「みのりん…なんで知ってるの?」
「フフ、2人の事を調べる事なんて赤子の首を捻るも同然よ…」
「なに言ってるのみのりちゃん、たまたま見かけただけでしょ?」
「あーみんなんでそういう事言うかなー。で、知られたくない事でもあったの?大河」
「うー…い、言いたくない…」
「じゃ、この部屋から出すわけにはいかないね!抜け駆けなんてずるいよ。祐作!」
よしきた、と言うと北村は立ち上がり、素早くドアをブロックする。
「ほーれほれタイガー。すっかり檻に閉じ込められてしまったね。早く離したほうがいいよ?
 じゃないと、昼間から遊んで夕食も作らないって愛しの旦那様に嫌われちゃうよ」
確かに…。嫌われるのは御免なので離すしかないだろう。


話を終えると全員がこちらをまじまじと眺めやっていた。すると能登が口を開く。
「へぇ、タイガーって高須に会った時いきなりぶん殴ったんだろ?凄い変わりようだな」
「だよなー。話すようになってもつんつんだったし。高っちゃんどんな魔法使ったんだろ」
「タイガーちょっとは成長したんだね。ずっと見た目と同じガキかと思ってたのに」
「大河って私にしか心開いてないと思ってたけど、今じゃ一途な乙女じゃん」
「みんな好き勝手言ってくれちゃって…。それに一途な乙女って古いよみのりん」「古いだってー!?」
「よし、その浮気疑惑を晴らすべく、全員で高須家へ突入しようじゃないか」
最初から来る気なんじゃん、という突っ込みはあえてなしの方向で。

「えぇ?なんでそうなるの?後を追って、途中でバッタリなんて考えてたんだけど…」
予想外の展開に戸惑いつつ、それだけ言う。
「しかし、今のご時世何が起こるか分かったもんじゃないぞ」
「大げさだよ…もしか「いいからいいから!ほら、もう時間ないんでしょ?さーれっつごー!」……」
喋ってる途中で声を割って入ってきたのは坂田よろしくアホの春田であった。
ハッとして携帯のフリップを開くと、時間は既に30分を回っていた。
結局付いてくる事になったが、亜美と春田、かわいくない能登は用事のため電車で帰る事になった。
店を出ると全員が全員とも「うっ」と熱に対する呻き声をあげる。
もう夜が近づいていても、外はまだムンムンと暑苦しい。




カラオケ店の前で別れ、別々の行動にとる。大勢で行くとバレやすいと踏んだ北村の案をあっさり受け入れた。
大河、北村、櫛枝の3人で会社の前の道路を挟んだ反対側の電柱の影でで雑談する事10分。会社の自動ドアが開いた。
ここが刑務所だったら絶対脱獄囚だ、と勘違いされる事間違いなしの男が出てくる。竜児であった。
そこで軽く伸びをすると、その瞬間車が大爆発する事もなく軽い階段を下りる。
外は帰路につく人が多く、人に満ち溢れていた。
しかし、途端に竜児の周りを歩く人々は竜児と一定感覚を空けようとする。
肩を落としながら駅へと続く道を歩く。3人はその後を声を潜め、話しながらつける。

「(おぉ大河!どうやらこのままサンクチュアリに帰るみたいだよ!)」
「(そうだねみのりん。サンクチュアリって古いよ)」「(にゃにぃ!?」)
「(よせよせ。しかし全員見事に一定感覚を空けているな。バリアーがあるみたいだ)」
「(そのおかげで分かりやすいけど、可愛そう…うっ)」

何かが大河の肩にぶつかり、驚いて呻き声をあげる。
漆黒の髪を揺らし、スタイルのいい女性が横を走り去って行く。
「(あれは…まさか)」
通り過ぎた女の横顔には見覚えがある。さっきまで尾行していた竜児の先輩だ。

竜児のもとへ駆け寄ると、肩に馴れ馴れしく手を置く。
「はぁはぁ…、やっと追いついた。でも案外すぐ見つけられたわ」
「どうかしたんですか先輩?何か用でも「いいからちょっとこっち来て」…え?」
竜児の腕を引っつかむと、近くのビルのわき道へ入って行く。
ビルとビルの間なので、足元も暗くどこを歩いているのかも分からない。
ほんの少し歩くと、開けた場所に出る。そこはビルの駐車場の裏側で、誰もいない。
車が数台止められていて、遠くに正規の入り口が見える。
近くの車の横に竜児を立たせる。後ろは壁で、ひんやりと冷たい。その前に先輩が至近距離で迫る。
「どうしたんですか先輩?こんな所に連れてきて」
「話を聞いて。あなた、今本当に奥さんを愛してる?」



何を言うのかと思えばそんな事か、と少し間を取った場所で柱に身を隠す大河ご一行が呟く。

怪しく光る狂目を光らせ、先輩を見る。別に視線で殺そうとしているわけではない。
「…は?あの、俺もう帰らないと電車の時刻が「お願い話を聞いて」……」
綺麗に整えてある髪を掻き分け、竜児を見つめる。その目はばかちーそっくりで、これから何を言うのかも予測できる。
「あなたはね、絶対今の奥さんでは君には合わないと思う。あなたにはもっと似合う女性がいる」
「…何を…んむ!」

一瞬何が起きたかわからなかった。大河にも、北村にも、櫛枝にも。そして、竜児にも。
一気に間合いを詰めた先輩は、3秒ほどだが竜児の唇に自分のソレを押し当てたのである。
「…いきなりこんな事して悪かったわ。でも、後悔はしてない。あなたは、絶対今の奥さんにいつか愛想を尽かす」

竜児はいきなりの出来事に頭を整理できないまま、立ち尽くしている。
一体なぜこんな事を?解らない。なぜ今自分がこんな目に?輪からない。
全ては『解らない』『理解できない』。頭がようやく働くようになってきたのか、
顔を真っ赤に染め、先輩を睨むように見ている。
「…なんのつもりですか?俺が、妻に、大河に愛想を尽かすって?思い違いも大概にして欲しいです」
「あなたは分かってない。あなたはもっと大人な年上の方が似合う。例えば「ふざけるな!」」
怒声を浴びせる。いつもならこんな大声は出さないし、出す必要もない。だが、今は別。
顔を怒りに震えさせ、口調も荒々しい。
「なんだってんだ…合うとか合わないとかそんなのどうでもいい。私は先輩の事尊敬していました。
 それはただ上司に向ける心意です。それ以上でも、それ以下にもなりません。
 しかし、先輩がそんなバカらしい事を言う人だったのは心底呆れます」
すると先輩は目に少し涙と溜め、バカ。とだけ言い、その場を去った。
 

大河の頭の中は真っ白になっていた。北村と櫛枝が声をかけてきたが、何も頭に入らない。
「うそ」とだけ呟き、それ以上何も言えなかった。

「……な」
竜児がこちらに気付いた。慌てて櫛枝と北村は姿を隠すが、大河は立ち尽くしたままの状態。
「…君は確か…」
すると、大河はサングラスを外した。
「大河…なんでお前…」
「竜児…」
無言で竜児に近寄る。一言「帰ろう」とだけ言い、手を繋いで帰っていった。
その後は、竜児が何度大河にあの時の事を説明しようとしても聞いてはくれず、いつも通りの生活に戻った。
いつも通りと言っても、大河は竜児にあーんと要求したり、以前より甘え、愛するようになった。
余談だが、先輩はその後退職した。その後の事はまた別のお話。

「…櫛枝。俺達はどうしたらいい」
「…帰ろう」




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