改札口を見える柱の影に立ち、ホームからやって来る人並みに鋭い目線を向けている竜児。
既に長い時間、そこに立っているのか、苛立ち感が組んだ腕の先でリズミカルに動く指先にありありと現れていた。
別段、竜児は私立探偵のバイトを始めて張り込みをしているわけではない。
単に人を待っているだけなのであるが、事情を知らない通行人は竜児を避けるように柱の前をよけて歩み去る。
まるでそこに見えない壁があるのではと思わせる光景。
ぽっかりと竜児の前は無人の広がりが生まれていた。
そんな出来上がってしまった空白地帯へ、恐れ気も無く足を踏み入れる人影がひとつ。
竜児の指がぴたりと止まり、あれだけ鋭かった目付きが和らぐ。

「・・・遅いぞ、大河」
「寝坊しちゃった」
悪びれた様子も見せずに言う大河。
「あれだけ俺がモーニングコールしただろ」
「うん、だからおはようって言ったじゃない」
「で、どうしたらこんなに遅くなるんだよ?」
「どうしてかな・・・あれ?おかしいな?」
小首を傾げる大河に竜児は「はあ」と小さくため息。
「大方、また寝ちまったんだろ」
ベッドの中で電話に出ながら、そのまま、また寝入ってしまう大河を思い浮かべて竜児は肩を落とす。
「あ〜俺が起こしに行けたら」
「うん、いいよ竜児、起こしに来て」
「あのなあ・・・俺を犯罪者にしたいのか、大河は」
大河は可笑しそうに笑う。
「ごめん、竜児。今度は気をつけるから」
笑いを収め、大河は謝罪の気持ちを込めて竜児に軽く頭を下げた。
「うりゃ」
その大河の頭を竜児はくりくりと撫でた。
大河は目を細め、竜児にされるがまま。
「これくらいでいいでしょ・・・髪が乱れる」
髪がぼさぼさになるに及んで大河はやんわりと竜児に中止を求めた。
「遅刻した罰だ・・・」
口ではそんなことを言いながら竜児は手櫛で乱れた大河の髪を整えてやる。
整え終えて竜児はひと言。
「よし、大河は今日もかわいい」
「あ、あったりまえでしょ・・・あんたの彼女なんだから」
わずかに顔を赤らめて大河は当然よと胸を張る。
「う〜ん」
竜児はうなる。
「何よ?」
「以前はこんなこと言うと大河・・・真っ赤になって照れてくれたんだが」
効き目が薄れたかとぼやく竜児。
「悪かったわね、どうせ鮮度が落ちたって言いたいんでしょ」
「そんなことねえな」
「どうだか」
顔の下に隠した牙をチラ見せし、大河は竜児を威嚇する。
「大河はかわいいじゃない・・・そう、きれいになった・・・だ」
竜児に真顔でそう言われ、大河は今度こそ本当に真っ赤になった。
「あ、あんた、なにそんなこっ恥ずかしいこと言うのよ・・・こんな駅の改札で」
突き掛かる大河を竜児は軽くいなして言う。
「会いたかった、大河」
「ずるいよ、竜児。先に言わないで」
不満げに大河は口を少し尖らす。
「わりい・・・じゃ、行くか」
そんな大河に竜児は笑みを浮かべ、出発を促した。



空白の長い一年が終わり、大河は再び竜児の元へと戻って来た。
その大河は都内でも有数のトップクラスの女子大への入学切符を手にしていた。
春から女子大生よと誇らしげに言う大河だったが、少し顔を曇らせた。
一人暮らしを始めることになったんだけど、大学の女子寮に入らないといけないのと打ち明けた大河。
それが一人暮らしの条件なんだと言う。
門限とか厳しくて、何かあると親に通報されるんだと憮然とした表情で文句を付ける。
竜児は過保護な方針を取る大河の両親にある意味、大河がこの一年でどれだけ愛情を勝ち取れたのかが見えて、胸が痛くなった。
大河のことをどうでもいいと思っているなら、マンションに投げ捨てたあの父親みたいなことするはずだが、それしない大河の今の両親。
大河は間違いなく、愛情を受けている。
そう実感できて、離れていた一年が決して無駄じゃなかったことに竜児は感謝した。

その竜児はと言えば国立大学への進学を果たしていた。
今の借家から通うには少し遠いキャンパス。
下宿すればと言う泰子の意見を退け、竜児は遠距離通学の道を選んだ。
経済的にも厳しいと言う事情もあったが、ひとりでする食事の虚しさを考えれば泰子を置いて行きたくないと言うのが竜児の本音だった。
学費こそ祖父の支援を受けた竜児だが生活費などのもろもろまで面倒を掛けたくないと言う気持ちもあり、細かな教材費などの支払いを捻出するためアルバイトを週に何回か始めていた。
泰子は体調のこともあり、夜の仕事の回数を減らすように竜児は望んだ。
やっちゃんは好きなんだよね、この仕事・・・笑いながら言う母親だが過度の飲酒が体に良い訳がない。
それでも、竜児が大学を卒業するまでは働くと言ってきかない泰子。
結局、四年後の卒業を待ってこの世界から足を洗うことを約束させ、今まで通り夜の仕事へ出掛けさせた竜児だが、その出勤回数を減らさせることにしたのだ。
高須家の大黒柱の収入が減れば、家計が厳しくなるのは致し方なく、泰子も竜児のアルバイトを学業へ支障が出ない範囲で認めざるを得なくなっていた。

必然的に日々の学業とアルバイトなどに追われ、竜児と大河が会えるのは日曜日だけとなってしまっていた。
以前はそれでも平日に無理して時間を作り、会っていたふたり。
それが睡眠時間を削る様な真似をしてまで竜児が大河に会いに来ると知って、大河は悩んだ末、会うのは日曜だけにしようと切り出したのだった。
それ以来、大河が竜児を訪ねて来るのが日曜日の慣わしとなり、今日まで続いている。


「いつもこっち来んの大変だろ?」
歩きながら竜児は大河に言う。
「乗換えが面倒だけどすぐだから・・・それに大橋の街が懐かしいし・・・竜児のとこが一番、落ち着く」
それにと、大河は付け加える・・・竜児に来て貰っても男子禁制の女子寮じゃ入れないでしょと、笑った。
「それとも、女装でもする、竜児?」
「・・・・・・やめとく」
「あ、今一瞬、そうしようとか思わなかった?」
「ねえよ」
「じゃあ、何よその間は?」
「いや、ちゃんと部屋は片付いているのかとか・・・洗濯物は溜まっていないだろなとか・・・考えちまって」
そんなことを真剣に言う竜児に大河は呆れる。
「大丈夫だから」
「あのマンションの惨状を知っている俺としては俄かに信じられねえ」
「ちょっとは信用してよ!」
疑わしそうな竜児の視線に堪り兼ねたように大河は叫ぶ。
止む終えず部屋の様子を写メで送ることを竜児に約束させられる大河。
「こんなにプライベートに干渉して来る彼氏もいないわ、まったく」
「あの頃のおまえにプライベートなんてあったのか?」
そう言われて大河は考え込む。
家のマンションは出入りし放題・・・合鍵まで渡してたし。
家の中の備品は全て竜児に筒抜け・・・備品どころか洋服の管理までさせてた。
もしかしたら、下着の数まで把握されたかも。
おまけに起こしに来いと竜児を呼びつけて・・・パジャマ姿は見せたし、寝顔だって・・・。
なんか、これって・・・。
大河は顔が赤らむ思いだった。
「・・・若気の至りと言う奴よ、うん」
「何だって?」
「独り言よ・・・そうだ、ねえ竜児」
「何だよ?」
「今日のお昼・・・久しぶりに竜児の作ったチャーハン食べたい」
「チャーハンか」
竜児は少し苦い顔。
「何よ。嫌だって言うの?」
喜怒哀楽がすぐ顔に出る大河。
たちまち不機嫌さを身に纏う。
・・・『使えない、駄犬ね』そんな台詞が竜児の脳内を流れる。
そういや、こいつに駄犬って罵られたのはいつが最後だったかな。
そんな物思いにふける竜児だが、大河の声にすぐ現実に引き戻される。
「久しぶりに言おうかしら・・・この・・・」
『駄犬』
大河と竜児の声が唱和する。
そのまま竜児と大河は顔を見合わせ、大笑い。




「あれ、やっちゃんは?」
高須家の居間に足を踏み入れた大河は泰子の不在に気がついた。
「ああ、今日は昼間のパートに出てる・・・夕飯までには帰って来るけどな」
「昼間、働いてるんだ・・・やっちゃん」
「おう、魅羅乃ちゃんはまだまだ健在だけどな・・・今は週に三回の出勤だ。でも、それだけじゃ食っていけねえから夜の仕事がない日はパートに行ってる」
「やっちゃんも大変なんだ」
「まあな・・・」
そんな話題を打ち切るように大河は鳥かごに近付く。
「ブサ鳥〜、元気」
「た・・・たい・・・たい・・・」
「おお、私の名前を呼んでくれるんだ」
「たい・・・やき・・・ぽっ」
白目をむくインコに大河は鳥かごの外からげん骨をかます。
「はん・・・しょぜんブサ鳥ね・・・ブサブサ」
インコ相手に真剣になってアカンベーまでする大河。
竜児はそんな大河にデジャヴを覚えながら、チャーハンの支度をするため台所へ向かった。


「はあ、やっぱり竜児のチャーハン、おいしい」
かつての2合半と言う勢いはないものの、竜児を上回る食べっぷりで大河はチャーハンを平らげた。
「満足、満足」
満腹感でいっぱいになったお腹を撫でて大河は幸せそうに顔をほころばせる。
「ごちそうさまでした」
「おう・・・こんくらい、いつでも作ってやる」
「じゃあ、毎日作ってクール便で送って」
毎日がチャーハン祭りだと大河は嬉しそう。
「栄養が偏るだろ・・・野菜とかちゃんと食ってるのか?」
「お母さんみたい・・・竜児」
ブーイングする大河。
「好きなものばかり食べてると体に良くねえ・・・ポッキーは週に一箱だぞ」
「はいはい、ちゃんと竜児の言いつけ守ってる。それに何度も言うけど寮だから、賄い付き。バランス考えたご飯が出てくるわ・・・あんまし、おいしくないけど」
「大河・・・ちゃんと作ってくれる人にだな・・・」
「・・・感謝の気持ちでしょ、わかってるわ。・・・だいたい竜児の作るご飯がおいしいからいけないのよ」
誉めているのか、貶しているのかと言いたくなる竜児。
苦笑しつつも、食後のお茶を大河に差し出す。
「ありがと・・・でも、その前に」
そう言いながら大河は食べ終えた食器を台所の流しへ運び、手早く洗い始めた。
居間で食器を洗う大河の後ろ姿を竜児はお茶を飲みながら、眺める。
いつの頃からか、片付け位はするわよと言って、大河は自主的に食器洗いを始めた。
多少は親元での修行の成果か、竜児の簡単な指導チェックが入った程度で、最近ではノーチェックで全く問題ないほど、食器洗いに関しては不安がなかった。
「お疲れさん」
居間に戻って来た大河は竜児の隣に座り、竜児は再度、お茶を手渡す。
「頂くわ」
ずずっとお茶をすする大河。
日曜の昼下がり、まったりとした時間が高須家の居間を流れてゆく。




ふと、ふたりの間で会話が途切れた。
まっすぐ竜児を見つめ大河は心持ちあごを上に向ける。
竜児は大河を見つめ返し・・・わずかに顔を傾かせた。
それを見て大河はゆっくりと目を閉じる。
そのまま、竜児は大河に顔を寄せた。
お互いの息遣いがわかるほどの距離がゼロになり、触れ合う大河と竜児の口元。
会えなかった時間を取り戻す様にそのまま動かない影が高須家の中にあった。

大河からそっと離れる竜児。
大河は目を開けるなりひと言・・・。
「あんた・・・にんにく臭い」
眉を少しばかり曲げて顔をしかめる大河。
「・・・そう言う大河だって」
一方的な物言いに竜児も反論する。
「だから、チャーハンは・・・まずかったんだよ」
竜児は昼食のメニューがチャーハンになることに乗り気でなかった理由を説明した。
「先に言いなさいよ」
「言えるかよ・・・その・・・何すると・・・こうだからって」
竜児はぶつぶつと歯切れ悪く言う。
「何、遠慮してんのよ?」
「だってよ・・・催促してるみたいで嫌じゃねえか」
「あのね、竜児・・・今さら何回もしてるんだから・・・気にしなくていいの」
「でもよ・・・やっぱりなあ」
変に煮え切らない竜児に大河はクスっと忍び笑い。
「じゃあ・・・この先は今日、遠慮しておく?」
大河はそう言ってにっこりと笑った。




「いちいち閉めなくていいのに」
「気分の問題だ」
部屋のカーテンを閉める律儀な竜児に大河は苦言を呈す。
「見られる心配なんてないでしょ」
大河の言い分に取り合うことなく、竜児はカーテンを閉める。
やや、薄暗くなる竜児の部屋。
その竜児の部屋の窓の外。
そこはかつて大河が住んでいた高級マンションの寝室の窓がある。
しかし、その窓にカーテンは掛かっておらず、部屋の中がわずかに見て取れた。
そこはがらんとした何も無い空間が寒々と広がっているだけの存在。
「次の住む人、まだ決まらないんだ」
「ああ、全然だな」
大河が出て行った後、一度は誰かが入居したものの、すぐに出て行ってしまい、それ以降、空き家状態のままの旧大河邸。
「意外と使い勝って悪いから・・・そこ」
「そんなものか?」
そんなこと言いながら竜児は大河を布団の上に横たえ、胸元のボタンを手際よく、外す。
広げられた大河の胸元に等高線で表したようなきれいな双子の丘陵地帯が現れる・・・わずかに足らない標高で、雪を被ったみたいに白っぽい山肌をさらす。
じっと見る竜児の視線を受けて、白から赤へと徐々にその色を変えてゆく。
「私だけ、ズルイ」
大河は自分の上着のボタンを全て外し切り、おへそをこんにちわさせた竜児の手を止め、逆に竜児の上着に手を掛けた。
「そう言えば、竜児」
「何だよ?」
「初めての時・・・なかなか上着脱がなかったね」
「大河があんなこと言うからだろ」
「レーズン・・・ね」
さも可笑しそうに大河は笑う。
「俺は気にしてたんだ」
「あれは竜児が悪い・・・」
「俺のどこがだよ?」
「起き抜けの私の前にいきなり上半身裸で現れるんだから・・・おまけにパンツ姿・・・覚えてない?」
「・・・覚えは・・・ある」
「あんな格好で私の前に出て来て・・・あれ、竜児じゃなかったら、即効で葬り去ったわよ。でもびっくりさせられたお返しはしないとって思ってあんなことを言ったの」
「・・・だから、大河が気にすると思って、俺は、その・・・脱げなかったんだ」
「馬鹿ね」
バツの悪そうな竜児に大河は微笑んだ。
そんな竜児に大河は手を伸ばし、自らの山頂へ誘った。




竜児に満たされていると言う感覚が大河の中心から広がる。
竜児が動くたび、竜児が触れるたび、そこかしこが次第にヒートアップし、大河を惑乱させる。
大河は次第に心のオクターブを低域から高域へスライドさせてゆく。
たったひとり、この世界で、全てを捧げてもいいと思った人。
その人、竜児と深いところで身も心も結びついた時、大河の気持ちは最高潮に達した。
竜児の切迫した響きが大河の耳に届く。
その瞬間、大河はただひたすら愛しい人の名前を呼ぶことで応えた。

真っ白な光がフェードアウト。


大河は自分のすぐとなりに横たわる竜児の胸の上に頭を預け、余韻に浸っていた。
部屋中を満たす残響が気だるい心地よさを産み出す。
大河の髪を優しく撫でる竜児。
「りゅーじ・・・りゅーじ・・・えへへ、りゅうじぃ〜」
これ以上の嬉しさは無いと言った様子で大河の頬は緩みっぱなし。
「竜児だ・・・竜児がいる」
すぐ側に竜児を感じ取れて大河はここぞとばかりに竜児に甘える仕草を見せる。
猫が飼い主に擦り寄るごとく、大河は竜児を慕う。
「なんかもうね・・・竜児でお腹いっぱ〜いって感じ。竜児が居れば何にもいらない・・・」
縁側で日向ぼっこをして、暖まったと言った雰囲気で大河はささやく。
「・・・大河」
「ん、なあに竜児」
竜児は自分の胸の上にいる大河を両手を使って優しく抱きしめる。
竜児の腕に身を任せ、大河は夢見心地。

絶対幸福感とも言うべき感情を味わいながら、大河はこの時間がずっと続けばいいのにと思った。


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