【幸せのホーリー手乗りタイガー】


 大橋高校に様々な逸話・伝説を残した『幸福の手乗りタイガー』には、クリスマスに関するものもある。
 曰く、独りさみしいクリスマスを過ごす者が、寅の方角に設けた祭壇にトンカツ(黒豚ならなお良し)を捧げ、「ホーリー・ナイト」の歌曲を流すと、心癒すミニスカサンタが降臨されるという。
 信じるか否かは個人の自由。
 しかしダメで元々。だまされたと思ってやってみてはいかが?


  ***


「だまされた―――――!!」

 恋ヶ窪ゆり(31歳独神・高校教師)、死亡。
 ちーん。


  ***


「…なんで実乃梨ちゃんが出てくるのよ」
「というか、あーみんがそんなロンリー・クリスマスを送っていたとは思いもよらなかったですよ真剣に?」

 手乗りタイガーのミラクルパワーによって召喚(?)されたミニスカサンタは、珍しくやや顔を曇らせて、ベッドに背を預けて床で膝を抱え込む友人の顔を覗き込んだ。
 現役人気女子高生モデル・川嶋亜美。
 普段から仕事で学校を休むことも多く、時には海外ロケなんてこともある彼女は、きっとクリスマスは超多忙!超過密スケジュール!
 だから皆、そんな彼女を気遣い敢えてクリスマスのお誘いをかけなかったのだけど。
 そして彼女は彼女で、友だちとクリスマスを過ごしたいがために事前にやり繰りして、がんばってがんばって、どうにか時間を作って。
『え〜〜?クリスマスぅ?ごっめーん、どうしても外せない仕事があってぇ、というかもう目白押し。人気商売はどうしたってそうなるのよねぇ〜〜☆で・も・ね?ちょっとだけ、ちょっとだけならなんとかなるかも、よ?』
 な〜んて、事前に台詞もバッチリ仕込んでさあ来い誘ってくるがよい愚民共!オホホホホホホホオ〜〜〜と内心、心待ちしていたのに。
 みんな「ちょっとだけ」以降の台詞を言う前に「あ、そうだよねやっぱ。ごめんね〜〜」とあっさり引き下がってしまわれて。

「うむうむ。プライドが邪魔して今更自分からは誘えなかったというわけなのね。…これも若さ故の過ちというものかのぉ」
「しみじみ頷かないでよ。っていうかアンタ、その…ミニスカサンタはもうなんていうか露出が多い割りにいやらしさは感じさせない健康的な感じがそれはそれでとっても・すっごく・イイんだけど…。
 なんで、ハゲヅラ?」
「ハゲヅラは乙女のたしなみだよ?」
「オトメ愚弄すんな!地球人類にそんな風習はねぇ!!」
「わたくし全てを超越する女、櫛枝みのりん!」
「女子高校生としてのたしなみを越えなくていいから!アンタ素材はいいんだからフツーにしてるだけで十分いけてるんだし!ああもう、自分の美貌を大事にしない女ってなんかムカツク!!せっかく可愛いのに!」
「あははー、あーみんみたいな美少女に褒められるなんて、オラァ幸せだぁ!」
 ケラケラ笑いながら、一応は亜美の意向に応えてハゲヅラはキャストオフする実乃梨である。
「まーいいさ。結果として…今夜は私とあーみん、あぶれ者同士でクリスマスってーワケだね」
「あぶれ者…なんだろう、今、サクっと心に何かが刺さったような気がするわ…」
「気にしないキニシニャーイ。それに結果としては、私にとってはウハウハだよこの状況?」

 声までニヤけている実乃梨に何か言い返してやろうと口を開け、亜美は――そっと口を閉ざした。
 だっていつも元気で笑みを絶やさぬ友人が、さっきまでの自分と同じくらい、沈んだ顔をしていたから。


「実を言うとさー。私もあーみんと似たような事情なんだわ、これが。
 私、いっつもバイトばっかりだし、去年は…その、高須くんの…アレもあったけど、正月休み無しで勤労してたから。おまけに今年は受験生だし、周りから気ぃつかわれちゃって。
 でもね、私としては…あーみんとさ。心置きなく話せる友だちとさ。一緒に、のんびりまったり過ごせればそれでいいや、って。
 みんなと思いっきりはしゃいで騒いで、ってのも大好きなんだけど、バイトと受験勉強で疲れがたまってるのは確かだし、正直、いい骨休みではあるかなってーねー」
「ちょっとアンタ…ぱんつ見えてる」

 自分の右側に立膝を抱えて座り込んできた実乃梨は、なにせミニスカサンタな格好なものだから大胆にサービスしまくっている。もっとも、二人きりだし元からそのあたりについては淡白な実乃梨はまるで気にしてはいない。
 だから亜美もそれ以上は何も言わなかったけど…同性だしそんなこと気にすることはないけれど…太腿の白さに、妙にドキッとしてしまって。
 いつもの異常なハイテンションは、半ばは作られたものだと知っている亜美だから、今のやや沈んだ表情の実乃梨が素顔を晒しているのだとわかる。

「…心置きなく話せる友だちならタイガーでもいいじゃん。むしろ喜んで迎えてくれると思うよ?」
「高須くんもね」

 たった一言の切り返しで、亜美は何も言えなくなってしまう。

「はは。ごめん。あーみんも…まだ吹っ切れてない?」
「ちょ、なによそれ?」
「まあ…吹っ切ってはいるよ。私は。少なくとも、いつもは」
「…………」
「でもね。まだ…まだちょっと、ダメなとこ、あるんだよね。特にクリスマスはまだ。
 やっぱりね、どうしてもね、ちょっと。ほんと…ちょっとだけ。
 私の選択は間違ってなかったって、もうそれは絶対に揺るがない。後悔なんてしてない。
 でもね、でもさぁ…ちょっとだけ、ホントちょっとだけなんだよ…ちょっとだけ」
「はあ。なっさけねー。思いっきりひきずってるじゃない。何がちょっとだけよ」
「あーみんだって引きずってなけりゃー、独りで部屋にこもっちゃいねっぺ〜?」
「アタシは遠慮してやってるだけよ。どーせあのバカップル、今夜は二人で普段の三割増くらいでイチャついてるに決まってるんだから。そんな所に行けるかってーか近寄りたくもねー」
「あ〜。そりゃ確かにな〜。お邪魔虫にはなりたかねーしなー」

 …………。
 …………。

「私はさ。傷の舐めあいなんて、したくない。ああ私たちってなんてカワイソウなのぉ〜なんて自己憐憫の涙に陶酔するシュミなんて、持ち合わせてない。
 それだけは、言っとくから」
「うん。ごめんなあーみん。グチきいてもらっちゃって」
「私たちはさ。みんな、落ち着くべきところに落ち着いたんだと思う。パズルのピースのように、自分の、自分だけの、自分がいるべき所に収まったんだって」
「そのとおりだよ。色々あったけど、でも今は本当に、これで良かったって思う」
「自分のやりたいことを、自分で見つけて、自分で決めた。当然のことを、やるべきことをやった。それだけのことだよ」
「そうだね。そうだよね」
「だから……いいじゃんよ」
「うん…」

 亜美は右手で彼女の左手に触れる。
 実乃梨はそっと、握り返してきた。


「でもさ…簡単には割り切れないから…簡単に忘れられる気持ちじゃなかったから…大事だったから…宝物だったから…。
 理屈じゃないんだよね、こういうの。
 痛いものは、どうしても、痛くてさぁ…ダメに…なっちゃうんだよねぇ…」
「よわっちい」
「うん…弱虫だなぁ…わたし…」
「――ったく」

 いつしか自分に寄りかかり、肩に顔を寄せている実乃梨から顔を背け、亜美は近くにあったティッシュを引き寄せた。

「あーみんは強いね…私なんかより、ずっと強いや…」
「強くなんかない。私だってアンタが思ってるほど、強くなんかないよ。
 ズルいのよアンタは。
 ……先に泣かれちゃったら、もう、受け止めてやんなきゃいけないじゃない」
「はは…ゴメン…ゴメンな、あーみん…」
「いいから…ほら」

 ティッシュを2・3枚とり、それで実乃梨の顔を濡らしているものを亜美は拭き取って。
 ――ヌルッ。

「?……赤…って血ぃぃぃ!?」
「ふ…ふひゅっ…」

 実乃梨の目から零れ出ているのは、涙。
 でも鼻からは真っ赤な「心の汗」がたらりと一筋。

「いやもう…なんていうかですね。こうさっきからのやりとりにもう…あーみんへのラブ?パトス?が滾ってですね。
 もう私の百合棒が辛抱タマランのですよ…!」
「ちょ…そこはたまって!たまってよお!?」
「無理!も、もはや拙者、あーみんが可愛すぎて…いただき、MOS!」

 ほ―――――――――、や―――――――――――――――!!!?

 ………そして聖夜の空に、一人の乙女の悲鳴が遠く遠く、響き渡っていった。


  ***


「はっはっはっはっは!メリークリスマスだな、木原!」
「ま、まるお!?ウソ、手乗りタイガーの奇跡ってホントに…って―――!?」
「はっはっはっはっは!どうした木原?いきなり真っ赤な顔で回れ右なんかしたりして?」
「ど、どうしたじゃないでしょ!?ま、まるお、なんで裸なのぉ!?」
「それは俺がサンタクロースだからだ!」
「どのへんがっ!?」
「ほら、このサンタ帽とか」
「帽子だけかいっ!?いやその、まるおマッチョで逞しいなぁとは思うんだけど、その、イキナリ積極的すぎっていうか…過程をすっ飛ばしすぎっていうか…」
「さ、納得できたところで早速、木原を癒してあげよう!英語でいうところのヒーリングだな!」

 かぽーん・かぽーん。

「ひぃぃぃぃぃ!?なんかその腋の下鳴らす音いやあああ!?ていうか、ちょ、ちょっと待って…」
「おお。そうだな」
「ほっ。と、止まった…」
「おおい、能登〜。お前も早くこいよ〜」
「よぉ木原〜」
「えー?能登ぉ?なんでアンタまで……ってなんでアンタまでマッパ――――!?」
「うむ!俺たちはプリティサンタだからな!」
「裸だよー、俺たち裸だよ〜〜」
「ぎぃやああああああああああああああああああ!?
 へ、変態!ヌーディスト!レイプマ〜〜ン!
 誰か助けて――――――――――!!
 お〜〜〜か〜〜〜〜さ〜〜〜〜〜〜れ〜〜〜〜〜〜〜〜る〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!?」


 ―――はっ。

「麻耶?しっかりして麻耶!?」
「…ななこ…?」

 目を開けると、照明を落とした自室の天井。
 そして傍らには、ベッドに横になっている自分を心配そうに覗き込む友人がいてくれた。
 何故かミニスカサンタの姿で。

 ――うわ〜、奈々子ってこういう格好だと…スタイルでは亜美ちゃんに一歩譲るとしても、ムネは亜美ちゃんよりおっきいもんなぁ。
 色々とぱっつんぱっつんだわ〜〜。

「奈々子。何気に失礼なこと考えてない?」
「え?そんなことナイデスジョ?」

 ボーカロイドみたいな口調で否定する木原さんです。
 そんな友人の胡散臭い態度はスルーして、奈々子は寅の方角に捧げられたトンカツを見て、悲しげに頭を振った。

「そっか…麻耶…さみしかったのね。
 あの天然鈍感な北村君には相手にされるどころか気づいてももらえない日々が続いて。
 一方でホントは仲直りしたいのに、いまだに顔を会わせる度につい憎まれ口を叩いちゃう能登君のことがなんだかちょっと気になって…。
 悩みが多くて、でもどうしていいかわからなくて、何だか変な悪夢まで。…ぬくもりが欲しかったのね、麻耶…」
「いやあの、奈々子?…ひゃう!?」

 さり気なく伸びてきた指につつつ、と顎の下を撫でられて、ちょっと艶っぽい声が出る。

「麻耶…私たち、友だちよね?」
「う、うん…」
「その寂しい心を暖めることは、私にはできないかもしれない…。
 でもせめて身体だけは、一時だけはその寂しさを忘れさせてあげることくらいはできるかもしれない…」
「え、いや、別にそこまで深刻には…って身体だけって、ええ?」
「大丈夫。怖がることなんて、なにもない。私を信じて、全部まかせて…」
「え、え、え、奈々子、え、ええええええ!?奈々子ってもしかしてソッチのヒト!?」
「失礼ね。そんなわけないでしょ」
「そ……そう、ですよネ?」
「でも友だちのためなら、私、ソッチに目覚めても…うん、今、目覚めるから…!」
「目覚めなくてもいいから―――――――――――――――!!!」

 ………そして聖夜に響く乙女の悲鳴がもう一人。


  ***


「――会長!?」
「何度言ってもわからん奴だな北村。もう私は会長ではないぞ」
「すいません会…いえ、先輩」

 堂々と窓から不法侵入してきた想い人、狩野すみれ嬢を、北村祐作はごく自然に、鷹揚に招きいれた。
 普通ならアメリカ留学中の彼女がどうして、とか色々疑問が湧き上がってくるものだろうが、北村はさして驚きもしない。
 元からマイペースで、自覚はないが少しずれたところもある北村ならではだが、本人自身はそれに加えて、こう考えている。
 狩野すみれという人は、こういう人だと。
 一見無茶で、荒唐無稽なことでも、不思議とやり通した上に、その無茶がごく自然に当然になる人だと。
 だから、北村が一番初めに口にした疑問は、彼女の服装のことだった。

「それにしてもそんな薄着じゃ寒かったんじゃないですか?」
「はっ!こちとらこれくらいで縮こまっちまうようなヤワな鍛え方はしてねぇよ」

 そういうって相変わらず豪快に笑うすみれの姿は、一言で説明すればミニスカサンタ。
 より正確に言えば、上半身は何も身につけておらず、ミニスカートを吊ったサスペンダーで胸の先を辛うじて隠しているという、去年のパーティで北村が披露したヌーディサンタの女性版である。
 妹に較べれば慎ましいサイズだが、それでも十分に女性らしい胸の膨らみを惜しげもなく晒したその姿は、さすがの朴念仁たる北村であっても、完全に無心ではいられなかった。

「その、先輩。…ぶしつけですが、胸の先が痛くないですか?」
「直球だな北村。だが尤もな疑問か。…ホレ、ちゃんと二プレス貼ってるから」

 乙女の恥じらいとか慎みとかを隣の銀河系まですっ飛ばした奔放さで、わざわざ見せるすみれである。お姉さん、妹だけじゃなく貴女も十分、エロです。

「なるほど!納得です」
「…ちっ」

 しかし素直に納得しているバカが一名。半端ねぇ鈍感っぷりを今日も遺憾なく発揮しています。

「ところで、今夜はいったい何の用事で…?」
「ふぅ。…去年お前らが企画したクリスマスパーティ、大成功だったそうだな?」
「ええ。お蔭様で今年も開催することができました。今後、大橋高校の伝統行事になってくれれば嬉しいのですが」
「うむ、私もそう願う。よくやったな、北村。まずはそれを褒めておこう」
「あ、ありがとうございます会…先輩!」
「だがそれを誇らしく思う反面、口惜しいというかしてやられたというか…対抗心がメラメラ燃え上がってきてな。
 私が現役の時に、何故、こんなステキ企画を実現させることができなかったかと…。
 だから敢えて、去年のお前を模した格好までしてきたのだが」
「先輩…そんなことで張り合わないでください。全く妙な所で子供っぽいんだから」
「私はまだ19歳だ!子供だよ!」
「来年は成人式でしょう。しかし…わかりました。そういうことなら自分も…!」

 ばっ!と思い切り良く北村は服を脱ぎ捨てた。すみれが止めるヒマも無い。
 そして現れたその姿は…!

「ふふっ。実は自分もこれから今夜のパーティに乱入しようと目論んでおりました!」
「…え?」

 元祖ヌーディサンタ!降・臨!


「フッフッフッ…わかりますよ先輩!引退したのだから後は次世代の者に任せねばと思いながらも、ついあれこれ口を出したくなるその気持ち!自分も現役を退いて、先輩の心情は理解しているつもりです!」
「え、あ、うん」
「いやあ、先輩も一緒に来てくれるとは、これは嬉しいサプライズです!正しく聖夜の奇跡、クリスマスプレゼントですね!
 ――さあ、これから一緒に幸太の奴を冷かしてやりましょう!!」
「あ、うん、それもありだけど…え、このままで行くのか!?」
「勿論です!鉄は熱いうちに打たねば意味がありません!俺は今、最高に燃えています!」
「いやあの、だからだな、私としてはクリスマスの夜にこんな露出過多な格好でやってきた意味というものを考えて欲しいというか…まあパーティに乱入というのもそれはそれで…」
「さー行きましょう!いざ討ち入り!」
「お…おう!そうだな、うむ、やはり勢いは大切だ!北村、お前も成長しているな!!」

 そして、露出過多な男女二人組はクリスマスの夜に出撃していったのでありました。

 ―――三時間後に逮捕。


  ***


「メリークリスマス竜児!…ってあれ?」

 軋む階段を気づかれないように慎重に登り、勢いよく高須家のドアを開けて飛び込んで。
 そこで大河は、当然そこにいる筈の人物の姿を見出せず、狭いアパート内を見回した。
 電気は点いており、鍵も開いているから竜児は当然いると思っていた。
 だが視界の中で動くのは、今まで眠っていたらしい篭の中の不細工インコだけ。
 几帳面でエコロジーな竜児が、電気や戸締りを忘れて外出したとは考えられなかった。
 やっちゃんこと泰子は今日は職場の忘年会兼クリスマスパーティにお呼ばれとのことで、久しぶりに午前様になりそうだ、という話は事前に耳にしている。
 だからこそ、今日のサプライズをおもいついたのだが。
 ミニスカサンタ姿の大河は、アパートの前で脱いだコートをいれた袋を置いて、上がり込んだ。
 一応、居間から続く泰子と竜児の部屋、狭い風呂場とトイレを見て回るが、やはり無人。

「竜児…りゅーじ?」

 呼びかけても、応えてくれる人はいない。
 ――やっちゃんが外出して、クリスマスを竜児が一人で過ごすことを聞いて、大河は「じゃあ今年はうちに来なさいよ!義父さんとママも、弟もあんたが来れば喜ぶから!」と口にしかけて、慌ててそれを飲み込んだ。
 竜児を我が家のクリスマスに招待する。
 それはそれで凄く魅力的な考えだった。去年はずっと高須家の半居候として毎日お呼ばれしていた自分にとって、逆におもてなしする側になるというのは凄く新鮮だし、竜児への良いお返しだとも思ったから。


「竜児…竜児?…竜児どこ?」

 でも、より強く思ってしまったのだ。
 二人きりで。
 竜児と二人きりでクリスマスを過ごしたいと。
 去年、竜児が私にしてくれたみたいに、今年は私がサンタさんになって竜児を訪ねたい。
 そして今年の聖夜はずっと…最後までちゃんと、一緒に過ごしたいと。

「竜児…竜児…竜児…竜児…」

 どうしたんだろう。まさか…何か、何かあったのだろうか?
 いやだ。
 なんだかすごくいやだ。
 これじゃまるで、去年のようだ。
 こんな風に何度も竜児を呼んで、でも、竜児は行ってしまった後で。自分が送り出してしまって。
 取り返しがつかなくて。幸せな夢が終わって。

「りゅうじ…」

 その夜、何度その名を呼んでも…いつもなら応えてくれる竜児は、傍にいてくれた竜児は。
 いなくなって。

「りゅ…」

 どこにもいなくなってしまった。

「やだ…りゅうじ…」

 ごん、ごん。

「!」

 突然の響きに、息を呑む。
 反射的に音の方へ振り向いて。
 洗濯物を干す狭いベランダに、そいつは居た。
 大きな目玉。毛むくじゃらの身体。
 そして大きな頭には不釣合いな、でも並みのサイズはあるサンタ帽子。

 見間違えるわけがない、クマのサンタが窓ガラスの向うで、ゆっくり手を振っていた。

「あ…」

 ゆっくりと、サッシを開けてやると、クマはのそりと入ってきた。
 後ろ手できっちり戸を閉めるあたり、几帳面な性格が知れる。

「あ…あ…」

 うん?というように首をかしげるクマ。
 近づくと、やっぱりクマはどこか埃っぽい臭いがした。
 でもそれでいい。全然いい。こいつはこうでなくちゃ。

「あ…あは…あはは…」

 ついに堪えきれず、笑いが口から漏れてしまう。
 だってこんなの、耐えられない。耐えられるわけがない。


「あはははははははははははははは!!来た!来た!来ちゃったよ――!!
 今年もサンタさんが来てくれたよ!
 もう相変わらずクマ!なんでクマなのよ!でもやっぱりクマがいい!全然いい!!」

 力いっぱい飛びついて抱きつくと、クマはがっしりと受け止めてくれた。
 私の全部、丸ごと受け止めてくれる手が。包み込んで、優しく頭を撫でてくれる手が。
 この広い世界で、ここにしかない。
 世界で最高の、たからもの。
 いつもなら階下の大家さんに気兼ねするのに、今夜は去年のように自分を抱えてくるくるとクマは回ってくれた。

「あははははは!あははははははははははは!」

 さっきまでの怖れの反動だろうか。笑い声は止まってくれない。
 自分でもテンションが上がりすぎて、怖いくらい。

「あはははは、あはははは、あはははははははははは…はは…」

 ぐにゃりと世界が歪んだ。
 クマが歪み、光が歪み、視界の端で歪んだ虹を作る。
 涙で視界が滲む。
 歪んだ世界で歪んだクマが、それでもありありと心配そうに自分を覗きこんでくる。
 その身体を、逃がさないようにきっちり捕まえて。

「なにやっとんじゃこの駄犬がああああああああああああぁぁっ!!」

 足払いをかけ、ドターン!と背中からクマを倒してやった。
 素早くその上に乗っかり、抵抗するヒマも与えずクマの頭を奪い取る。

「ぐおおっ…なにしやがんだ!」
「それはこっちのセリフ!ったくまーたこんなの借り出してきて!もしかしてアンタお気に入り?」

 そこに現れたのは、目つきばかりが凶悪に鋭すぎるけど、世界で一番やさしい奴。
 高須竜児。
 私の横に並び立つ、唯一の竜。

「…いや…だって去年は喜んでくれたからさ…クマだけど全然いい!って」
「黙れ!っていうか今年は私がサンタになってお返しする筈だったのに、ぶち壊しにしやがって!
 エロ犬のあんたが喜ぶようにってミニスカサンタで来てやったってのに!
 返せ!私の純情乙女ハート!!」
「…人のことエロ犬呼ばわりする品性で純情かよ…」
「…アンタ、その元から薄い眉毛、いらないみたいね?」
「止めろ!指をワキワキさせるな!抜くのか?抜くのか眉毛!?……っつ!?」

 不意に何かに驚いた様な竜児の顔が、一瞬で真っ赤になった。
 慌てて顔を背け目を閉じる竜児はいかにも不審気だ。


「ちょっと。人と話するときは相手の顔を見ろ。…こっち向け!目を開けろ!」
「や、やめろ!痛い!く、首がもげる!もげるから!」
「あんたが無駄な抵抗を止めれば痛くないわよ?それとも…もっと痛くして欲しい?
 破くよ?まぶた」
「お前怖ぇえよ!マジビビリ入ったよ!だから…うわ、人の身体の上で屈むな!つ、つまりだな、その…見えちまうだろ、色々と!…そんな露出の多い服だと…隙間から…」
「……え?」

 微妙に視線をずらしながら、観念したように喚く竜児の言葉の内容を吟味し。
 ノースリーブのサンタ服の胸元に視線を落とす。

「……ッ!?み、みたの…」
「み、みてねえ!見てないぞ!み、見えそうにはなったけど…」
「ほほほほほ、ほんと!?」
「お、おう!俺はお前にウソはつかねぇ!絶対だ!」
「う、うん…それは…信じてるけど…」
「でも…お前でも、谷間を作ることはできるんだな…」
「やっぱいっかいころすううううううううう!!!」
「できれば殺さない方向で――――!お、俺は一応、褒めたつもりなんだ〜〜〜!!」

 ああ。なんでこうなっちゃうかな。
 普通は恋人同士のクリスマスって、もっとロマンチックなイベントのはずなのに。
 でもこれはこれで楽しいからいいんだけど、ね。

「とにかくメシにしよう!な!ケーキ買ってきてあるし、去年の分も併せて牛ドーン!豚ドーン!で準備したんだから!」
「やっぱり鳥ドーンは無しなんだ…仕方ないけど」

 不承不承、竜児の上からどいてやる。解放された竜児はとりあえず上体を起こし、畳に座り込んだ。まだ身体はクマのヌイグルミを着込んだままだから、億劫そうだ。

「でもさ、さっき私がベランダ見た時には居なかったよね?どこに隠れてたの?」
「あ〜…柵の下にハシゴ立てかけておいてな。柵の下にぶら下がってた」
「…ったく!そこまでする普通!?竜児いなくって、私、すっごく心配したんだからね!
 もしかして何か事故にでもあったんじゃないかって…そう考えたらどんどん不安になってきて…」
「……ごめん」

 竜児はそっと後ろから私を抱きしめて、頭を撫でてくれる。
 私に何かあれば、すぐにこんな風に気遣ってくれる。大事にしてくれる。慰めてくれる。
 私を幸せにしてくれる。

「優しいね。竜児はやっぱり、世界で一番やさしいヒトだよ…」
「俺はそんな奴じゃねえよ」
「なにそれ。アンタ以上に優しい人間なんて、どこにもいないよ」
「…お前がいるじゃねぇか。世界で一番優しいのは、大河だよ」
「…おだてても何もでないよ?」
「そんなんじゃねぇ。俺は本当に、そう思ってるから。
 お前くらい、他人に優しくできる奴は、いない。俺にはお前みたいなことはできねぇ。
 だからお前が一番なんだ」
「…意味わかんない。竜児はそれこそ誰にでもすっごく優しいじゃない。
 竜児だったら本当に、本物のサンタクロースにだってなれると思う」
「それこそ、無理だ。だって」


 一旦言葉を切って。

「だって俺は、お前にしか優しくできねぇ。俺が本当に優しくなれるのは、お前だけだ。
 俺は、たった一人のためのサンタクロースにしか、なれない。
 だからさ。今夜も、そして来年も、その次も、ずっと。俺はお前のサンタクロースになろうって思ってる」
「…………り、」
「お前だけのサンタでいい、なんて考える奴は、他の奴のサンタにはなれねぇ。
 だから本当には、俺は優しくなんかなれないんだ。
 でも大河は違う。お前は他人の幸福のために、一生懸命になれる奴だ。他人のために、自分を磨り減らしてしまうような奴だ。
 ならせめて、俺みたいな奴がお前のサンタにならなきゃ、あまりにも不公平じゃないか」
「………」
「俺はそう思ってる。それでいいだろ?」

 世界は不公平に、できている。
 本当はサンタクロースなんて、どこにもいない。
 でも、もしかしたら、本当は、そうじゃないのかもしれない。
 だって私は、竜児に巡りあうことができたから。

「…あ、ところで大河、今日は門限何時だ?後で送ってやるから。
 ていうかお前、本当にクリスマスは俺の家で良かったのか?だって新しい家族との初めてのクリスマスなのに」
「ううん、いいの。だって私はアンタとのクリスマス、本当のクリスマスは、今夜が初めてになるんだから」
「そうか。…そっか」

 あ。照れてる。顔は見えないけど絶対こいつ照れてる。ぷくく。

「で、何時頃に帰る?」
「来たばっかなのにもう帰りの心配なんかしないでよね」
「おう。だがバカ騒ぎしすぎて遅くなったら、お前のご両親に申し訳ないし」
「あ、いいのよその辺は。だって義父さんもママも、竜児のことスッゴク気に入ってるもの。
 今年は私がワガママ言ったけど、来年は絶対家に招待しなさいって」
「おおう。そりゃまた、光栄なことで」
「だからさ。そんなママたちの意向も汲んで、今夜はいっぱい楽しまなきゃ」
「おう!…で、我ながらしつこいと思うが、門限は何時だ?」
「…ったく空気読まない駄犬ね。
 あのね、実はね、……ママ、やっちゃんと同盟組んでるの」
「――あ?」
「なんていうかね、その…やっちゃんは30代、ママは40代のうちに初孫を抱きたい母親同盟…」
「――ああ?」
「だからね、つまりね…その、門限…ないの…」
「――あああ?」
「だ、だからぁ……もう、気付いてよ!お泊りOK!むしろ今夜は帰ってくるな!!って感じ!
 勿論うちのママだけじゃなくやっちゃんも了承済み!!!
 ああもう言っちゃる!
 ……ク、クリスマスプレゼントは、わ、わ、わ、た、し、なのよぉぉぉぉぉぉ!!」
「――ああああああああああああああああああ!?」
「こら逃げるな!一緒にいるんだから!絶対、離れないんだから!」
「いやそれは基本的には俺も同意だけど!お前のことすっごい好きだから!
 でもちょっと待って欲しいというかもしかしてこの話、前回と繋がってる!?」
「ええいゴチャゴチャわからんことを!
 ええとね、そうだ、ママとやっちゃんが竜児がゴネたらこう言えって言ってたことがあった!」
「なんだよそれ…!?」
「えっとね…えっと…その…」
「なんだよ…?」
「あの、あのね…」
「うわくそお前かわいすぎるわ畜生!顔真っ赤でプルプル震えてくっそ、し、辛抱、辛抱!」
「あのね…えっと…そう、『中出ししたら合意』なんだって!」
「そんなわけあるかああああああああっっ!!?」

 ………そして聖夜の空に、一人の少年の悲喜交々入り混じった複雑な絶叫が響き渡った。


  ***


 そして、とあるラーメン屋にて。

「秘技・六道輪廻―――!!」
「「「おおおおお〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」」」

 名物店主の技で飛び散る熱湯のしぶきを、カウンターの客たちはむしろ恍惚の表情で受け入れる。

「えいっ、春田くんバリアー♪」
「あちゃあああっ!?ひ、ひどいよ瀬奈さあん☆」

 そんな中に、見た目やや不釣合いだがそれはそれであり?みたいな?微妙な年の差カップルの姿もあったりして。
 色々あるかもしれないけれど、とりあえず幸福の手乗りタイガーの助力は必要なさそうな。

 ――かくして、聖なる夜は過ぎていく。
 皆に、幸多からん事を。


   <了>




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