『……ねぇ、竜児ぃ……』
月に一度、母さんはひどく甘えんぼになる。
『……なんだよ、くっつくんじゃねぇ……』
いつもはパンパン飛び出す父さんへの軽口と、『なめたら承知しないわよ』って感じの私への態度が鳴りをひそめ、言葉少なく微笑みをたたえるようになる。父さんの横に立って、柔らかそうな頬に笑みをたたえながら優しげな視線で見上げるようになる。
そのさまは実の娘の私が見ても、かわいい、と抱きしめたくなってしまう。
『……だって……』
母さんがときたまそんな風に父さんに接することに気がついたのは、小学生のころだった。横に立って見上げながら、そっと袖をつかんでみたり、あるいは父さんに身を寄せて顔をすりすりとこすりつける姿を何度も見た。
父さんと母さんが仲良しだって話を学校の友達にすると、みんな驚いた。よその家ではそんなことはしないらしい。うちの父さんと母さんは仲良しだ。それがちょっと自慢だった。
『……竜河が聞いてるぞ……』
中学生になって、私はときどき母さんがこんな風になることには別の意味があると思い当たった。それはつまり、私たちの年頃が急に関心を持つことだ。私は気づいた。あからさまな話ではあるけれど、つまりこれは夜のおねだりだと。
『……聞こえやしないわよ、それより竜児。今夜…ね?……』
母さんは、父さんにああやってサインを送っているのだ。そう思うと、私はちょっとだけ嫌な気分になった。大好きな父さんの横に立っているのは、やっぱり大好きな母さんなのだ。それなのに、まるで父さんの気を引こうとする知らない女の姿が見えるようで。
それはきっと、初めて自分が意識するようになった男と女の生々しい行為を重ねて見ていたせいだろう。
『……だから朝っぱらから甘えてるなって……』
あの子供っぽい顔の母さんと、実の子の目から見てもこわい顔の父さんが愛し合う姿をふと思い浮かべて、その生々しさに、どこに向けたらいいのかわからない嫌悪感を抱いたこともある。
『……いいじゃない、少しくらい……』
今年、私は高校2年生になった。男と女の愛にはいろいろな形があることや、家庭を持つことの意味について、中学生の時よりも少しは分かるようになった。今、奥の部屋で声をひそめて言葉を交わす二人のことも、以前よりは理解できると思う。
『……しょうがねぇ奴だなぁ……』
月に一度、母さんはひどく甘えんぼになる。
『……ふふふ……』
ガラス細工の人形のように華奢な体をパジャマに包んだ姿で父さんにすり寄り、大人の女の微笑みで視線をからみつかせているのだろう。男と女の匂い立つような空気が奥の部屋からゆっくりと広がってリビングまで入り込み、椅子や、テーブルや、私までも包み込む。
そしてこんなとき、聞く者の心臓をとろかすような声で母さんがそっと囁くことを、17歳になった私は知っている。
『私、竜児のとんかつ大好きよ』
毎月第二土曜日の晩は父さんが料理登板だ。
(お・し・ま・い)
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