逢坂の顔には、怒りも、悲しみも、暖かさも、冷たさも、何一つなかった。
ガラスのようなその瞳は、一切の感情の色を廃したかのように鈍く透き通る。

「サヨナラ、高須くん。」

背を向けて家路に着く逢坂を―――大河を、竜児は

追えなかった。


同情なんかじゃない、そう言ってやりたかった。
でも、言えなかった。

それは嘘だ。同情じゃないなんて、嘘だ。
竜児は、大河に、同情していた。


それだけだった。



小さな体がますます小さくなっていく。遠ざかっていく大河をただ黙って見送る。
見送るだけ。
そんな。
そんな、事。





出来る筈が、無い。











「大河っ!!」

何を。
何を期待していたのだろう。

彼は―――高須竜児は、本当に、ただ。
優しかった。


それだけ。それだけだ。
そんな事、わかっている。分かり切って、いる。
なのになぜ。

なぜ。


彼の言葉は、その優しさからの言葉だったはず。
彼は何も。何一つ、悪くない。
なのになぜ。

なぜ。


「…聞いてた、の?」

責めるような言葉を、私は投げかけるの?

――嘘でもいいから知らないと言って欲しい――
――何にも関係なく、ただそこに私がいて――
――偶然、ただそれだけで良かったのに――

今、何かを失おうとしている。
それに、私は反発してるんだ。だから、聞きたくない。その先を。

「いや…慌ててその場は後にした。けど。あのシチュエーションで、次の日逢坂が学校休んで……だから、その、だいたいの事」
「もういい。」

もう、そこから先の言葉を、聞きたくない。
だから―――自分で言ってしまおう。どうせ失ってしまうなら、せめて自分の手で。

「ありがとう。『同情』してくれて。」

なんて私は。サイテーな。クソッタレな。本当に「同情」する価値なんてない、ヤツ。だから。
きっとこんな言葉で伝わらないけど。―――ありがとう。ホントに、そう思ってるから。
皆で食べるご飯も、安心して眠れる夜も味わった。
だから。

「サヨナラ、高須くん。」

もう、充分だから。
充分――――なのに。




「大河っ!!」

泰子が見たら「ますますパパに似てきたわぁ〜」などと言われそうな、そんな鋭い目つきで。
竜児は、叫んでいた。
大河はその歩みを、止める。

器用なのは手先だけで。
同じだ、と竜児は思った。大河は、まるで自分と同じ。
―――不器用なのだ。

「ああ、そうだ。同情じゃない、なんて…言えやしない。知らなきゃ、きっとほっといたさ、俺だって!だけど…」

もしも、物語の主人公なら。
同情なんかじゃない。そう言って、カッコイイ決め台詞でも言って、ヒロインを抱きしめてやるのだろうか。

でも、そんな嘘は余計に大河を傷つける。
そして多分、自分自身も。

大河は振り向かず、再びその歩を進める。その歩みを止める力すら、竜児にはない。
もっと、もっと。大河に届くように。
言葉が、大河の頭の中を通り過ぎて、体の真ん中まで届くように。

叫んだ。千切れそうな声で。

「知っちまったんだからほっとけねえよっ…!!呆れるほど不器用に出来てる、お前を」

呆れるほど不器用な、俺が。そう叫んだ竜児も、痛かった。

「ほっとけるかよ…!」

大河の心を、自分が傷つけたのなら。

「知らん顔していられるかよ…!」

それは、殴られるより、蹴られるより―――痛かった。


「飯ぐらい、いつだって作ってやる!いつでも食いに来ていいんだぞ!いつでもだ!」




大河は振り返ることは無く。
その姿が見えなくなっても、竜児はまだ諦め切れないように大河の消えたマンションの入り口を見ていた。


「今日は学校、来いよな…」

いつまでもここに居るわけにもいかない、とようやく気持ちを切り替えて、竜児は家に戻った。
いつの間にか泰子が起き出していたようで、玄関を開けるなり朝飯の催促をしてきた。

「りゅうちゃ〜ん、朝ご飯〜。」
「ああ。すぐ作るから。」

キッチンにむかいつつ居間の時計を覗くと、もうすっかりいつもの朝食の時間になっていた。
早く寝た分起きるのも早かったんだろうな、と急いでキッチンに向かい――


思わず盛大に、それはもうコントのように引っくり返る。居間の真正面にまで来て始めて気付いたその人影に。

「お、お、おま…な、何やってる???」
「うっさいわねぇ…いつまで待たせるのよ。さっさと朝ご飯にしなさいよ。」
「そうよぉ〜竜ちゃ〜ん♪やっちゃんおなか減ったよぉ〜。」

さっき家に戻ったはずの大河が、ちゃっかり制服に着替えて、テーブルの前に座っていた。

「アンタがいつでも食べに来いって言ったんでしょ?今更無しとは言わせないわよ。」




ホントにいったいこの逢坂大河には常識とか道理とか、そんなものは通じないのだろうか?
ああ、通じないのだろう。彼女を誰だと思っている?「手乗りタイガー」だ。

「…言わねぇけど…ああ、とにかく、ちょっと待ってろ!」

もう何でもいいや、と半ばやけくそ気味に。

「頼むから、ちゃんと玄関から入ってきてくれよ…あと、泰子も当たり前みたいにベランダから迎え入れんな!」
「や〜ん、大河ちゃぁん、竜ちゃんがこわ〜い♪」
「全く、躾のなってないペットね。」

大河は籠をいじってインコちゃんを弄びながら、竜児に流し目をして不適に笑う。

「今のはインコちゃんの事…だよな?そうだ、そうだとも。ああ、そうに違いない。」
「い、い、いイイ、イ、イ、イン…………」
「おおお、インコちゃんっ!ついに言うのか?そうだ、君だけが俺の心の安らぎだっ!」
「ド♪」
「…はぁ。」
「くく…。」
「竜ちゃぁん☆」
「…今、作る…。」

前途は多難。そんな竜児の思いを知ってか知らずか、空は雲一つ無く晴れ渡っていた。
きっとそのせいだ。こんな状況が、こんなにも。

すがすがしく、希望に満ちた朝に思えたのは。





「よし、弁当はこれで完璧だ。」

豚肉の生姜焼きに春巻、生野菜のサラダ。
竜児も思わず自画自賛が出るほどのデキだった。

「ほら大河。お前の分も作っといたぞ。」
「…ん。」

気のない返事をして、弁当を受け取る大河。

「なんだよ、まさか今更学校行きたくないとか言わねーだろうな?」
「…そうじゃないわよ。そうじゃないけど…っ。」

大河はそこでやや口ごもると、渋々、と言った様子で続く言葉を搾り出す。

「…どんな顔して行ったらいいのか、わかんない……。」
「…。」

竜児も思わず二の句を告げなかった。
確かに、大河にしたら北村とどう接すればいいのか、わからないというのは無理ないことだ。

悩んだ挙句、竜児は大河にこう伝える。

「じゃあ、一言。教室入って、一番最初に北村の所に行って一言だけ。それならどうだ?」
「…………なんて言うの?」
「何でもいいさ。…そうだな、「おはよう」って言えばいい。大丈夫だ!北村ならそれでちゃんと伝わるさ。」
「……………………わかった。」

やはり渋々だったが、大河は頷いた。

告白されて、フってしまった女の子が翌日休んでたら、気にしないはずが無い。北村だってきっとそうだ。
もう大丈夫だって、伝えた方がいい。今後ギクシャクしない為にも。

「りゅうひゃ〜ん、はいはひゃ〜ん!もう行っひゃうのぉ〜?」

玄関で靴に履き替えていると、まだ眠そうな顔をした泰子が歯を磨きながら顔を出した。

「ああ、歯を磨きながら喋るな…。昼飯は冷蔵庫に入ってるからな。温めて食えよ。」
「はぁ〜い☆」
「んじゃ、行ってきます。」
「…。」
「ほら大河。お前も言えよ。」
「え?アタシも?」
「早くしろ。」
「え、えと……い、行ってきます。」
「はぁ〜い♪行ってらっしゃ〜い♪」

ぶんぶんと手を振る泰子に、照れくさそうに玄関を飛び出す大河。
軽い溜息と裏腹に、竜児の口元はほころんでいた。

「おぉ〜〜い、とぅあいがぁ〜〜!!昨日はどうしたんだよぉ〜!!俺っち心配で心配で夜も眠れなかったぜぇ〜い!!見よっ!!」

遠くの方から大きな声で呼びかけてくる、今日も元気いっぱいの櫛枝実乃梨。何か充血した目を描いたパーティーグッズの出来損ないのようなものを着けているようだが、遠すぎてよく見えない。
まことに持って、色々と残念な少女ではある。

「…ぶつ、ぶつ…。」

大河はいつもなら櫛枝とじゃれあうのだろうが、今日はまるで視界に入っていない。

「…お、おは…お、………おはよっ…おは…。」

北村に挨拶する練習をしているようだ。まるで高須家の愛玩動物インコちゃんみたいになっているが。

「およ、およよっ…そこに控えるは高須君。おはー♪」

櫛枝はそばまで近づいていくと、さすがに無反応だった小道具をそそくさとしまい、いつも通りの晴れやかな笑顔を向ける。

「ああ、おはよう櫛枝。」
「むむむ……。」
「??」
「はっ!!こ、これは…もしかして、もしかすると、あ、アベックと言う奴では!?」
「あべっく…。」

今時…と思うがつっこまない竜児。それ以上に無反応な大河。

「家、近所だったんだ。昨日初めて知ったんだけど。」
「へぇ〜。あのマンションの近くなんだ、高須君。」
「ああそうか。櫛枝はあのマンション行ったことあるんだな。」
「う、うん…まあね。」

やや口ごもって大河のほうを覗き見る櫛枝。しかしやはり大河の耳には入っていない。

「…どしたの、大河?」
「さ、さぁ?」

竜児は本当の事を言うわけにもいかず、頭を振った。
櫛枝の疑問をヨソに、大河にとって緊張の瞬間は刻一刻と近づいて来る。

教室の前。既に櫛枝は中に入っている。
当然だ。ここで立ち止まっている方が不自然なのだ。

「いいか、最初の一言で言うんだぞ。それを逃したらずるずる言えねえぞ、きっと。」
「わ、わ、わ、わかってる…!」

なんかこっちの方が緊張してきた、と竜児は思いながらも、先にドアをくぐり北村の姿を確認すると、わざと大河に聞こえるように挨拶を交わす。

「北村、おはようっ!!」
「お、高須。今日はいつになく元気だな!おはよう!」

「ビクッ」という擬音が大河を振り返らなくても聞こえてきそうだった。
竜児は心の中で祈るような気持ちで大河を待つ。

やがて、ゆっくりと。小さな足音は近づいてくる。
怖い気もしながら、振り向いてそれを確認する竜児。
大河は、下を向いていてその表情は伺えない。

―――と、思ったのも一瞬だった。キッ、と顔をあげ、まっすぐと北村の方を向くと

「おはよう、北村くん…っ!」

言った。
たった一言。でも、それがどれ程勇気を振り絞ったものか。竜児は、よくわかっていた。本当は、よく言えたなって今すぐ褒めてやりたいくらいに。

北村は、ほんの一瞬固まったような表情を浮かべたが、すぐにいつもの気さくな笑顔を浮かべて。

「ああ、おはよう逢坂。」



良かった。
竜児は、心からそう思った。


しかし大河はそこでもう限界だった。一歩も動けず完全にフリーズしてしまっている。
竜児は、もう予鈴がなるぞとかなんとか言いながら無理やり大河を自分の席に座らせた。

1時限目が終わるまでずっとフリーズ状態だった大河が、チャイムを合図に飛び起きると、いきなり竜児の傍につかつかと近づいてくる。

「なんだよたい…ぐわっ!?」

そのまま首根っこを引っ掴んで、教室から出て行ってしまう。
後に残されたクラスメイト達は

「と、とうとう手乗りタイガーvsヤンキー高須!!!」
「こ、これは是非とも覗きに行かないと…!」
「馬鹿、ばれたら殺されるぞ!!」
「どっちが帰ってくるかで勝敗はわかるじゃないか。」

などと無責任な噂話で盛り上がっていた。

「…臭う。」

そんな中ただ一人、櫛枝実乃梨だけが、真剣な面持ちで二人の後姿を見送っていた。


一方竜児は、昼以外は人気の少ない自販機コーナーまで連れて来られていた。

「痛ぇな…まったく、何だよ!!」
「い…言えた。言えた!言えたっ!!アタシ、ちゃんと言えた!!」
「わ、わかってるよ。落ち着け。」
「何よ!アタシがこんなに頑張ってるのに、やれって言ったアンタは賞賛の一つもよこせない訳!?」

普通自分からそういう言い方するか…とは思ったが。


「…凄えよ。」

でも、竜児もそう思っていたのだから、仕方ない。

「俺なら、もし俺なら言えたのかな…って思った。大河、お前は凄いよ。本当に。」
「な、何よ急に、こ、こっぱずかしい事言ってんじゃないわよ…。」
「勝手な奴だな…お前が言えって言ったんじゃねえかよ?」
「う、うるさいわねっ!!」

ふん、とそっぽを向いてしまう大河。でも、その顔は耳まで真っ赤になっていた。

「…よし、それじゃなんか飲み物でも奢ってやる!何がいい?」
「ホント?じゃあいちご牛乳!」
「おう!」

だが、気をつけろ。
このドジな女の子は、買ってやったいちご牛乳をこぼしてしまうかも知れない。制服まで汚すかも知れない。もしかしたら、転んで放り投げてしまうかも知れない。

だから、目を離さないように。
いつも、傍に。虎に並び立つのは―――――。












―――次回予告!
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「今日からこのクラスで皆さんと一緒に学校生活を送る事になりました、川嶋亜美です♪」
「うおお!!!!」
「さすが現役モデル!!可愛いレベルが…違う!!!」
「…た、確かに。」

思わず竜児も納得した。それ程、川嶋亜美は――圧倒的に――輝いていた、のだ。

「チッ!」

前方の席から、最早お馴染みになったなった舌打ちが響く。
いつもは担任の永遠のどくし…29歳、恋ヶ窪ゆりに向けられるソレは、今この瞬間は、自分に向けられている。

確かに、それがわかった。大河が振り返ったわけではない。
だが、確かに竜児に向けられた負のオーラのようなものが、背筋を冷たくしたのを感じていた。
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仮面の美少女川嶋亜美、その正体を知るのは北村だけ。
竜児と大河に好奇と疑惑の眼差しを向ける実乃梨&クラスメイト。
亜美と、竜児の接近??―――それは、嵐の前触れか??





     *      *
  *     +  うそです
     n ∧_∧ n
 + (ヨ(* ´∀`)E)
      Y     Y    *

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