# # #


「た・い・が! た・い・が! た・い・が!」

 部屋の隅を囲むように立つ全員から、湧き起こる大河コール。
 そして轟く虎の咆哮──

「しゃーおらー!」

 ──なんだなんだ、一体どういう状況だ!?
 慌てて人垣に突っ込んで、竜児が騒ぎの中心にたどり着くと、そこには。
 なんということでしょう、“フワフワキュート”なお姿のまま、元気にサソリ固めを披露する嫁の姿が──。
「おおっと、タップ! タップです! ギブアップだー!
 勝者、大河選手!」

 うおぉー!

 爆発する歓声、飛び交う座布団、ここは有明か後楽園か。
「大河! おま、なにしてっ……たいがあ!」
 呼べど叫べど声は届かず、大河もこちらに気付かない。
 力尽きた相手をそこいらに転がすと、彼女は勝ち誇ったように小ぶりな胸をそらした。両手の指をキツネさんにして、「うぃー!」と謎の勝ち鬨をあげる。
 どっとまた歓声があがり、駆け寄った女子が数人、ほっぺにチュウしてわっせろーい。
 もうむちゃくちゃのカオスである。

「なあ、何があったんだよ!?」
 すぐ脇で「虎だ、お前は虎になるのだ!」とはしゃいでいた金髪ピアスを捕まえて訊けば、要するに。
 あの優男が大河にちょっかいを出して、手酷くやり返されたらしい。
「お前が席を外すなり、ソッコー飲ますわ口説くわ、ひどかったんだぞ。」
 そういうことか、と竜児が唇を噛む。最初からそっちが目的だったのか。
「あげくに、『身長差のあるキスってどんな感じ? フリだけでいいからさ』っつって強引に迫ったもんだから、さすがに間に入ろうとしたその時だよ。
 『いいわよ。』ってニッコリ笑った彼女が、オデコでガツン!
 ──で一言、『あらやだ、目測を誤っちゃった。』」
「おおう……。」
 その様子がありありと想像できて、竜児は思わず天を仰いだ。
「俺は思わず拍手したね。あんなに綺麗なヘッドバット初めて見たぜ。」
 その後は売り言葉に買い言葉、逆上した相手が掴みかかったところを以下省略。
 全く予想外な大河の反撃に、全員やんややんやの大喝采。酒宴のノリを止める者もなく、さっきの騒ぎに至った、と。こういう事らしい。



「しかし、大河が先に手を出したんなら……」
「心配すんな高須。見ろ」
 わざわざやってきた顎髭メガネが指さす先には 泡を噴いて伸びているイケメン(無惨)と、……それをさも嬉しそうに写メったり足蹴にしている一団が。
「うわ。恨まれてんだなあ」
「いつかは誰かに刺されるぞと思ってたから、かえって早めにこうなって良かったんじゃね?」
「良くはねえだろうよ……。」
 一応ケジメはつけねばならない。
 肩を落としつつ、大河を探してあたりをを見回す。
「いやーしかし、高須の嫁さんサイコーだな!」
「間違いなく宇宙一だな!」
 初対面の時よりも興奮した様子で、そう大河を絶賛する二人だったが。残念ながら、竜児の耳には全く入っていなかった。
 見つけたからだ。
 数時間前のしおらしさが嘘のよう、牢名主よろしく積まれた座布団に鎮座して、ふんぞり返っている“宇宙一の嫁”を──。

 感情が顔に出てしまっているのか、近づくだけで、大河を囲む人垣があっという間にぱっくり割れて。
「わっ、……竜児!」
 こちらに気づいた大河が顔色を変える。
 竜児は無言で、彼女をそっと高座から抱え降ろした。
「──っ!」
 叱られると思ったのだろう。身をすくめたチビ虎を膝に乗せるようにして、まずは話に聞いたオデコから。
 傷はねえ、痣もねえ、瘤にもそれほどなってねえ……、と順番に撫で、全身をくまなく確かめる。
 手のひらや首筋は、じんましんなどが出ていないか、特に念入りに。
 傍目には、食前に赤ずきんの肉付きを確かめる狼そのものだが、今は周囲の視線など全く気にならなかった。
 とにかく大河の無事、大河の安全、大河の体調だ。
 小さな畳の擦れ跡ひとつ見逃さない。
「りゅ、竜児……大丈夫だよ。」
「おう。」
「えへへ、やっちゃった。
 っていうか、その。ご、ごめ……っ」
「いいから、ちょっと待ってろな。」
 一通り無事を確認すると、竜児はくるりと踵を返した。

 ひっそりこの場を去ろうとしていた男の目の前で、襖をぴしゃりと閉める。
「!?……な、なんだ、今度はお前が相手か?」
「いえ、少し話があるだけです。」
「オレにはねえよ。なに、示談金でもくれんのか。」
 名乗った時とは裏腹の、ずいぶん粗暴な態度である。
 見ろよこの痣、お前の女は酔拳使いだ、などとおどけるのを、竜児は黙って聞き流した。



「恥をかかされたのはこっちだぞ、わかってんのか?」
「こんな騒ぎになったことは謝ります。……ただ、」
 言葉を切って、唇を湿す。
 その減らない口をもぎ取ってホルマリンに漬けてやろう。という仕草に見えるが、慎重に言葉を選んでいるのだ。
「大河にずいぶん飲ませたと聞きました。
 あいつがろくに飲めない理由、最初に説明しましたよね。」
「ああ? 覚えてねえよそんなもん。」
「アレルギー体質で、下手すりゃ命にかかわることも──」
「知ったこっちゃねえって言ってんだろ!」
「今さら知らなかったじゃすまねえよ。」

 その瞬間、魔界の扉が開いた──と後に大河は述懐する。
 あんたの両目から障気が噴き出してた、あの時あの部屋にいた人間は、きっと全員呪われたよ、と。

「大河になにかあってみろ。」
 自分でも驚くほど低い声が出る。
「……俺は、あんたを、許さねえ。」
 訴えられようが殴られようが、これだけは言っておかねばならない。
 おのれの顔面の威力も忘れ、竜児はずいっと額を寄せた。
 新種のエイリアンが喉笛に噛みついたように見えたのだろう。どこかで小さく悲鳴が上がる。
「……、聞いてるのか?」
「………………。」
「おい、……あの、先輩?」
 思わず普段の口調に戻って、竜児が肩に触れた瞬間、相手の体がずるりとその場にくずおれる。
「え? ……ちょ、あれ?」

「……気絶してる。」
 駆け寄ってきて横から覗き込んだ大河が、呆れたように肩をすくめた。



          # # #



「ぬぁーにが『命にかかわる』よ。」
 竜児の背中でぶらぶらと足を揺らし、大河の苦笑が夜道に響く。
「お酒はそんなに問題ないって知ってるくせに。」
「あのくらい言っといたほうがいいんだよ。
 後でまたイチャモンつけられちゃかなわねえしな。」
 駅から家までの短い距離をてくてく歩きながら、竜児はよいしょ、とヤンチャな雌虎を背負いなおした。
「それにしてもさ、まさか気絶しちゃうなんてね。」
「……言うなよ。気にしてるんだから。」
「あんたの啖呵、美人局の元締めのようだったわ。」
 ぷくく、と耐え切れないように笑う恋人に、もはや反論する気力もない。

 クラスコンパはあれから二次会に突入し、ずいぶん盛り上がった──幸い、本性を晒した大河は大いにウケて、記念撮影で引っ張りだこになっていた。
 もちろん、隣に竜児がぴったり張り付いていたのは言うまでもない。
 今までの鬱憤を晴らすように飲み食いして調子を取り戻した大河は、最後のほうでは黒歴史の「手乗りタイガー伝説」を、自ら披露して笑いを取っていた。

「お前こそいいのか? あんなに色々ぶっちゃけちまって……。
 それになんだよあの手乗りタイガーのテーマってのは。初耳だぞ」
「即興よ即興。続きはね、えーっと。
 ♪闇を切り裂いて〜宙を舞うフリルぅ〜」
「♪はぁーヨイヨイ。」
 適当な歌詞に適当な合いの手を入れ、二人してクスクスと笑いあう。芯から冷えるような冬の夜道に、ここだけはホカホカと暖かかった。
 あの角を曲がれば、もうすぐ二人の愛の巣だ。
「気分は悪くねえか? 少しでも変ならすぐ言えよ?」
「平気だってば。勧められたお酒は、ほとんど飲むふりしてただけだから」
「じゃあお前、シラフであんな大立ち回りしたのかよ?
 おおう……改めてすげえな。」
 うんせっ、とまた背中の恋人をずり上げて、竜児が数歩たたらを踏む。
 その首筋にぎゅっと腕を回し、大河は冷えたほっぺたをこすりつけた。

「……ねえ、竜児。竜児はすごく優しいね。なんだか怖いくらい。」
「神田川か、縁起でもねえ」
「♪赤い〜マフラー手ぬぐいにして〜」
「ぬぐえねえよ。逆だ逆。
 それに、俺なら銭湯でお前を待たせるもんか。」
 ──むしろ俺が冷えっ冷えのキンキンになるまでお前は出てこねえ。
 そんな軽口を叩いて、耳たぶをがぶがぶ噛られる。
「いてて、痛ぇよ大河! 落っことすぞ。」



「……なんで怒らないの?」
「なにが。」
「その……暴れたこと。」
「そりゃ、無茶するんじゃねえ! って怒鳴りたい気持ちはあるけどよ。」
 そら着いたぞ降りろ、と言うと、上までおぶってとしがみつかれ、アパートの階段をえっちらおっちら登りだす。
「そもそも俺が不甲斐ねえからああなったんじゃねえか。
 初対面の奴らの中にお前を放置したまま、うっかり飲み過ぎちまって……。」
 おまけに最愛の嫁がセクハラされているまさにその時、自分は何をしていたかといえば──居酒屋の便器を磨いていたのだ。あと、余所の可愛い子に告白されていた。
 あんまりといえばあんまりである。
「違うよ竜児、私見てたの。あいつ、酎ハイにこっそり焼酎足してあんたに飲ませてたのよ。もちろん私にもね。
 最初から酔い潰すつもりで、だから──」
「言い訳にならねえ。」
 ぴしゃりとそう言い切って、同時に足を止める。ポケットの鍵を探るも、大河の脚が邪魔で届かない。
「大河、」
「──ん。」
 以心伝心、差し出された大河の鍵で開けると、二人はもつれるようにして玄関口に倒れこんだ。

「ぷっはー!」
「どひゃー!」
「疲れたね!」
「疲れたな!」
「でも楽しかった!」
「そりゃ良かった。」
 冷たい廊下に折り重なったまま、しばしぬくもりを伝えあう。
「──ねえ、竜児。」
「うん?」
「すっっ……ごく、恥ずかしかったし、びっくりしたけど。
 ……宇宙一って言ってくれて、ありがとう。」
「おう。」
「それで、……それでね、」
 小さな小さな囁きは、言い終わらないうちに胸元に埋まって消える。
「結局ぶち壊しちゃって、ごめん……。」

 ──妙に空元気だと思ったら、ずっとそんなことを考えてたのか。

「……大河。」
 目を合わせようとすると、大河はいやいやと首を振って、ますます胸に押し付けてきた。
「大河。たーいーが。」
「やっ。」
「やじゃねーよ。顔見せろ。」
「だって、あんたの友達の前で……、」
「俺のメンツが潰れたと思ってんのか。」
「…………。」
「ばーか。」
 小柄な身体をしっかり抱いて上半身を起こす。
 冷えたつむじにちゅっと唇を落とすと、小さく洟を啜る音がした。
「……なんで泣くんだよ。」
「……私……、服も、頑張って……っ、
 竜児には彼女がいるんだ、って、ちゃんと、み、見せ、たくてっ……」
「おう。みんな驚いてたぞ。」


「へ、変な虫がつ、つかないように、って……」
「効果抜群だったと思うぞ。」
 例の黒髪の彼女は結局、二次会へは来なかった。いつか新しい誰かが見つかるようにと願う。
 そう、自分にとっての大河のような相手が。
「なのに……、ついカッとしちゃって……」
「計画性のない犯行だったわけか。」
「茶化さないでよう。」
 えぐっ、としゃくりあげて、大河はまだ顔を上げない。
 ──やっぱり少し酔ってるんだな、と竜児は独りごちた。普段ならここまでマイナス思考にはならないはずだ。
 だけど、これが大河の本音なのも確かだろう。
「大河、こっち見ろ。」
「…………。」
「見ろって。」
 強引に顎を持ち上げると、有無を言わさずぶちゅっ、と口づける。
「──ぷは。……ひっでぇ顔。鼻水でしょっぺえ。」
「ううー。」
 ようやく現れた大河の瞳を、綺麗なアーモンド型にたっぷりと涙を湛え、端からぽろぽろとこぼしているそれを、竜児はとてもうつくしいと思った。
 こんなにも強くて、弱くて、意地っ張りで、うつくしいいきものが──竜児の腕のなかで、彼のことが好きだと泣いているのだ。

「俺は……。宇宙一幸せな男だな……。」

「な、なによ急に。気持ち悪い。」
 二人を繋いでいた鼻水の(!)糸を恥ずかしそうに指で払って、大河がまたひと粒涙をこぼす。
「そしてお前は。……その幸せな男の、宇宙一の嫁さんだ。」
「もー! そういうの、いいってば。」
「いいやよくねえ。お前には宇宙一としての自覚が足りねえ。」
「……はあ?」
 あんた、頭がおかしくなっちゃったんじゃないの。ようやく憎まれ口が戻ってきた大河の濡れた頬を、手のひらでそっと拭う。
 その泣き顔に、真っ赤になった鼻の頭に。胸元を掴んだままの華奢な手に。どうしようもなく熱情が吹き上がる。
「──おう、こりゃ大変だ。涙で冷えて風邪引いちまう。」
「ええ?」
「こんなときは風呂だ。風呂しかねえ。
 よし、風呂に入ろう!」
 反動をつけて立ち上がると、落ちまいと慌ててしがみついてくるのをいいことに、さっさと脱衣場に連れ込む。
「ちょ、……竜児!? え、一緒に?
 っていうか、お湯がぜんぜん溜まってな──」
「先に体を洗えばいいだろ。洗いっこしようぜ大河。要するにだ、それまで裸でイチャイチャしようぜ!」
 どーん。



 どうよ、とばかりに胸を張った竜児の腕から無言で抜け出すと、ため息をひとつつき。大河は粛々と服を脱ぎ始めた。
「……。
 な、なんだよ。発情犬!とか、エロ駄犬!とか、言わねえのな。」
「……いや、なんていうか……、そこまで堂々とサカられると、罵倒する気も失せるわ……」
「それはそれで、ちょっと物足りねえような。」
「なに、あんたやっぱりMのケがあるの。」
「ねえよ!ねえけどよ。てかやっぱりって何だよっ」
 そんなことをうだうだ言い合いながら、お互いの服に手をかける。
 宇宙一幸せな男とその宇宙一の嫁は、まごうことなく宇宙一のバカップルなのであった。

 この時のイチャイチャが原因で、後日二人揃って風邪を引き、亜美にさんざんからかわれることになるのだが──
 宇宙一というのも因果なものである。




           〈宇宙スペースナンバーワン!〉〜終〜



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