日が傾く時間だけは遅くなったものの、この季節はまだ寒い。プラットホームを駆け抜ける風に、竜児は思わず首をすくめる。黒っぽいブルゾンの中で手をぐーぱーぐーぱーと繰り返すが、そんなことは何の効き目もなく、すぐにやめる。
甘い香の移った赤いマフラーに首を埋めると、沈みがちな気持ちがほんの束の間癒される。
見舞いに行った祖父の家では、
「なにを大げさな、大丈夫と言ったろう」
と、きつい声でいわれた。
精児の強がりはともかく、古い家には揺らせば飛んでいくような品々がありとあらゆる平面に置いててあり、園子と精児の奮闘むなしく、まだまだ三分の一ほどが手つかずのままだった。
「いえ、こういうときには俺みたいに働いてないやつが頑張らないと」
そういって笑いながら掃除を始めた。
笑っていられなかった。
来るなと行ったのに強情を張って付いてきた大河は、床に散らばった物から泰子に関係のありそうなものを見つけ出すと、声をあげて掃除などそっちのけ、けがをしないように軍手をした手でページをめくったり、図々しくも蓋を開けたりと忙しい。
その横で、竜児は一人のそのそと片づけを続けた。いつもの手際の良さはどこかに行ってしまい、そこにいるのはカリスマ主婦大学生でもなんでもない、ただの、無力な男でしかなかった。
大方の片づけを終え、園子に泊っていけと言われるのを遠慮して、ようやく今、駅にいる。あるいは泊ってやったほうが良かったかもしれない。小さいとは言え、余震もある。心細かったのかもしれない。また人の心に思い至らなかったかと、軽く唇をかむ。
プラットホームを風が駆け抜ける。
くちゅん、と小さなくしゃみが横から聞こえる。いわんこっちゃない。ついてくる必要などなかったのだ。寒いなら俺のマフラーも、と言おうとして、こちらを見上げている大河と目が合う。小学生のような小柄な体を白のダッフルコートにくるみ、ポシェットは袈裟がけ。
竜児とそろいの赤いマフラーを髪の毛ごと巻きつけて後ろで団子に結んだ大河は、柔らかそうな頬を寒風に赤く染め、冷たいプラットホームに立ちすくむ竜児を微笑んで見上げていた。
「竜児。あんた、優しい顔してる」
そう言って照れたようにうつむくと、コートから手を引き抜き、竜児の腕に絡みつける。
こんなときに能天気な奴、と独りごちて竜児は苦笑する。
これからどうすればいいのかずっと考えていた。この先どうなるのか想像もつかない。大学をでて、ちゃんとした会社に就職すれば大河を幸せにできるのだと思っていた。そうじゃないと、つい最近思い知った。自分だけではない。
櫛枝も、川嶋も、能登も、春田も、木原も、香椎も、連絡の取れた友達は一様に当惑していた。北村でさえカラ元気が見え見えだった。腹が据わっていたのは散々生徒達からからかわれていた恋が窪くらいのもので、
「しっかりしなさい」
と檄を飛ばされたものだ。
みんなどうすればいいのかわからないのだ。だって俺たちはガキだから。
それでも、と思う。また無力を思い知らされて、戸惑っているだけの自分を、大河は優しいと言ってくれる。
そうかもしれない。
こいつだけは何とか幸せにしてやらなきゃ。と、この何日もそればかり考えていた。改めて思う。こいつが好きだ。こいつを泣かせたくない。大河を幸せにしてやりたい。
その気持ちには嘘はない。
「うちの爺さんの世代もおやじの世代も焼け野原からやり直したよ」
孫の内心の不安を見抜いたのか、清児はお茶を飲みながらそう言った。あるいは、自分に言い聞かせていたのかもしれない。
その通りだと思う。
これからやり直しなのだ。いろいろなことが壊れて、今から、みんなが歯を食いしばって生きる時代になる。今は一所懸命勉強をしよう。そして、みんなと力を合わせて社会を立てなおすのだ。そうすれば、きっと大河を幸せにできる。
「寒くねぇか」
30cm下のつむじに話しかける。
大河が顔をあげて、何も言わずに微笑む。
こいつと一緒ならきっとやれるさ。そう考えて、マフラーに首をうずめたまま、竜児が目を細める。
電車がやってきた。
(おわり)
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