「・・・あ」
・・・慣れないな・・・。
思わず手に取ろうとしたカップから手を離して、俺は溜息をついた。
一人分の蜂蜜キンカンを入れて、居間へと戻る。
テーブルの上には飯を食べ終えた俺の食器と、伏せられたままの大河の食器。
未だに作る量は二人分。
またこれも夕飯にまわさなくちゃ。
コクリと一口蜂蜜キンカンを傾ける。
そして気付く。流れる涙に。
大河が逝ってしまってもう8ヶ月。
俺の傷はまだ生々しいままだ。

『愛してる』

「お疲れ様でした」
一言挨拶をして、俺は弁財天国の裏口から外に出た。
「竜ちゃん」
その俺に後ろから声がかかる。
母親の泰子だと分かり、振り返らずに返事をした。
「なんだ?」
「あ・・あのさ・・・」
言いにくそうにしているのは多分聞きたくないことだからだ。
容易に予想がついて、俺は溜息をついた。
「言っとくけど」
「え?」
「俺はあのアパート出る気ないから」
泰子が息を飲む気配。
やっぱりそうか。
「で、でも、お父さん達も心配してて・・・ひ、一人じゃやっぱり・・・」
「俺にもお前みたく逃げろって言うのか?」
「!」
「・・・わりい、言い過ぎた」
正直この話しが出るたびに自己嫌悪に陥る。
心がささくれ立って、誰彼構わず傷つけてしまうからだ。
「・・・でもよ、おじいちゃん達の気持ちは嬉しいって言ってくれ」
「竜・・・ちゃん・・・」
「でも・・・あそこには大河との思い出がある。俺には・・・もうそれしかねえから・・・」
「・・・」
これ以上ここにいたら、もっと泰子を傷つける。
俺はそのまま振り返らずに、家路へと足を向けた。





しばらく歩いてから空を見上げる。
冬の空は空気が澄んでいて、空の星も良く見えた。
近くにあった公園を思い出して、自販機でホットコーヒーを買うとそこへ向かった。
案の定、ベンチから見る空は、電線も遮る木もなく、満天の星空を見ることが出来た。
そのまま座るとカシュッと、コーヒーのプルトップを開ける。
一口飲んでから、ハァッと大きく息をつく。
白くなった息が空へと浮かびやがて霧散した。
『正直、忙しく働いてるのは気が紛れて助かる・・・』
心の中でそう思い、自分がまだまだ吹っ切れていないのを再認識した。
『あのときは・・・まだ春だったもんな・・・』
ジンジンとかじかむ手先を、缶を握って暖めながら、俺は思い出したくない記憶に思いを馳せた。



『た、大河が・・・死んじゃった・・・』
最初に電話をくれたのは櫛枝だった。
その時の声が涙声だったのが、リアルに思い出される。
はじめはなんの冗談だ?と思った。
こっちは店が忙しいのに、変な電話してくんなよと。
だって大河は、
「今日はみのりん達と出かけてくるね。竜児に似合いそうなセーター選んでもらうんだ」
そう言って、嬉しそうに出掛けていったのだから。
なのに、
『た、大河、か、買ったもの落として・・・ひ、拾おうと、し、車道に・・・ううっ!!』
電話口から、実乃梨ちゃん、と川嶋の声も聞こえてきて。
それも涙声だった。
冗談だよな?
確かにそう聞いたはずだ。だがそれに答える声は、落ち着いてだの、ごめんなさいだの、こっちが欲しい言葉をいってくれなくて。
とりあえず電話じゃ埒があかないからと、大まかな位置を聞いて駆け出した。
泰子の静止する声が聞こえたような気がしたが、どうでも良かった。
途中でタクシーを拾い、聞いた病院の名前を告げた。
・・・病院?病院になんの用事があるんだ?あいつは買い物に行ったんだぞ?全く櫛枝もそそっかしいやつだ。行き先を伝え間違ってやがる。
とりあえずそこまで行ってみようと、椅子に深く腰掛けた。
その時、手がカタカタと震えているのに初めて気付いた。
いや手だけでなく全身が。
ガタガタとまるでおこりのように震えていた。
大丈夫ですか?と運転手に聞かれた気がする。
大丈夫ですと小さく答えた、気がする。
その辺の記憶は今も曖昧だ。





鮮明になるのは、病院に着いて、櫛枝と川嶋が飛んできて、泣き崩れて、そのまま警察の人に連れられて、連れて行かれた霊安室からだ。
簡素なベッドに寝かされた人・・・らしきふくらみ。
顔には白い布が掛けられていて、顔の判別はつかない。
医者らしき人が一度手を合わせてから、顔の布を取り去った。
「・・・大河?」
思わず声が出た。
だってそこに大河が寝ていたから。
櫛枝がいきなりそれに縋りつくように泣き崩れた。
川嶋も櫛枝に倣って大河を掴んで泣き出した。
なんで泣くんだ?
大河は寝てるだけだろう?
それよりもあんまり大きな声を出すな。大河が起きちゃうじゃないか。
こんなに・・・こんなに気持ち良さそうに寝てるんだから・・・。
「・・・奥様には残念なことになり・・・」
話し掛けてきた警察関係者とやらを無言でみつめる。
残念ってなんだ?
何も残念なことなんてないぞ?
「被疑者の確保は済んでいますので、取調べ次第、被害者のご遺族に・・・」
・・・遺族?
誰が?
誰が遺族?
なんの話か全然わからない。
なんだか身体がフワフワする。
体が揺れて芯が定まらない。
そのままぐらりと揺れると、俺は床に盛大にぶっ倒れた。
その後の記憶はない。
起きたのは3日後だった。





目が覚めると白い天井がまず目に入った。
そのまま身を起すと、病人が着るような簡素な白衣みたいなものを着ていることに気付いた。
なんでこんなトコで寝てんだ?
そう思ったとき、部屋の扉が開いて泰子が入ってきた。
驚いたようにみつめた後、泰子が俺に縋って泣き始めた。
あれ?
こんなの少し前に見たような気がする。
「なあ、大河は?」
ビクリッと泰子の身体が大きく震えたのが分かった。
のろのろと顔を上げると、メイクの落ちた顔が聞いてきた。
「覚えて・・・無いの?」
言われて首を傾げる。
覚えてる?なにを?ああ。
「あの冗談か」
大河が死んだとかなんとか。性質の悪い冗談だよな。
そう言って笑うと、泰子がゆっくりと首を振った。
「冗談じゃ・・・無いの・・・」
「え?」
「大河ちゃん・・・もういないの・・・」
ポロポロと涙を零しながら、それでもこれだけは自分が言うんだと決めていたように、泰子は気丈にそう言った。
それから大分間を置いてから、聞いた。
嘘だろ・・・?
それだけしか俺の口は紡げなかった
でも泰子は俺の言葉にまたも首を振る。
その仕草が、本当に本当だった。
「・・・マジかよ・・・」
ゆっくりと首が縦に揺れた。
泰子は嘘をつかないとき気配でわかる。
ずっと過ごしてきた母親だ。それくらいはわかる。
今まで間違ったことはない。
だから・・・それを目の当たりにしたとき。
「う・・・わあああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
俺は絶叫するしかなかった。
その後の葬式などの覚えはない。
ただ飾られていた大河の写真が、俺の大好きな笑顔だったのだけが鮮明に残っている。





そのあと2ヶ月は呆然と過ごした。
3ヶ月目になると、町のあちこちに大河を探すように出かけた。
4ヶ月目に見かねた友人達に一生懸命諭された。
その時の俺の取り乱し方は尋常じゃなかったらしい。
俺には覚えなどない空白の記憶だ。
そして5ヶ月目に全てを受け入れた。

『モウ、タイガハ、イナイノダト・・・』

それからの二月は泣いて暮らした。
泣いて泣いて泣いて。
もうこのまま泣きながら死ねるんじゃないか思うほどに泣いた。
でも・・・。
『俺はこうして生きている・・・大河のいないこの世界で・・・』
滲んだ視界を、擦り飛ばす。
でも、後から後から涙が溢れてきて、俺は結局そのままにしておくことにした。
泣くことはたぶん恥じゃない。
それ程に誰かを思える証なのだから。
なのに・・・俺にはその思う相手に会う術がない。
それが悲しい。
「大河・・・会いたいよ・・・」
『・・・じ』
「え?」
何かが聞こえた気がして俺は立ち上がる。
『・・・うじ・・・』
「・・・大河・・・?」
急いで周りを見渡す。
何もない。
でも今聞こえたのは・・・。
『竜児・・・』
そのまま俺は導かれるように夜空を見上げた。
「・・・大河」
夜空で大河が微笑んでいた。
以前のままの姿で、両手を広げて。
「大河」
『竜児』
そっか。こんなとこにいたのか。
ずっと一人で・・・。
「待たせてごめん」
『ううん』
夜空の大河がゆっくり首を振った。
そのまま浮かんだ微笑みは、あの時のままの笑顔で、俺も自然に笑っていた。
「わかった・・・。今傍に行くよ」
俺はそう囁くと、大河に右手を伸ばした。
大河も手を伸ばして、俺の手を取る。
確かな温もりがそこにはあった。
「愛してる」
『あたしも愛してる』
そうして俺たちはしっかりと抱き合った。
もう離さない。絶対に・・・―――――

『本日未明、○○公園で発見された凍死体の身元が判明しました。被害者の氏名は高須竜児。この町に住む二十歳の男性で・・・』


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