地方で研修を受けていた竜児は、金曜の夜遅くに自宅に帰ってきた。
大河がいる店を訪れた翌日には、元2-Cの仲間達に連絡を取り、明日土曜日の夕方、弁財天国に集まる
ことになっている。奇跡的にもこの忙しい師走の只中に、北村を除く、全員が集合できると言う。

「いや、奇跡じゃねぇな。みんな心配してくれてるんだ。大河のこと…」
古びた階段を昇りながら、竜児はぽつりと呟く。
亜美はその日に海外ロケから帰国して、成田空港から直行すると伝えてきた。
週刊誌の記者である能登には、他の仲間よりも詳しく大河の状況をメールと電話で伝えておいた。
北村は忙しいのか、ケータイも繋がらず、メールにもまだ返事が無い。

竜児には大河を見つけたことを伝えなければならない、大切な人がもう1人いた。
そう、大河がいなくなった後、丸3日間寝込んでしまった竜児の母、泰子だ。

「泰子、帰ったぞー」
竜児が玄関のドアを開けて中に入ると、ちょうど泰子も弁財天国を閉めて帰って来たばかりのようで、
風呂の支度の真っ最中だった。

「竜ちゃん、おかえりー。にゃはー」
この母は24時間以上顔を合わせなかった時には、必ずこうして抱きついてくる。もう少しで四十路に
なるというのに全く変わらない。だが、邪険にできないのは、照れくさいが竜児も嫌ではない証で…

「お仕事お疲れ様! いっぱいお勉強してきた?」
「いや、もう社会人だから勉強って言われても…」
「だめだめ、若いうちはいーっぱい勉強して、どんどん賢くならなきゃね!」
「まぁ、研修中の身だから間違っちゃいないんだけどな。それより泰子、明日よろしく頼むな。
急に大勢で集まって悪いけど」
「ぜーんぜん、大丈夫だよ。みんなに会えるんだよね。久し振りだね。楽しみだね。
大河ちゃんも来れば、いい…のに…ね」
楽しそうに目を輝かせていた泰子は、大河の名前を口にしたとたん、俯いてしまった。

「あ、あのさ泰子、大河のことなんだけど」
「見つけたの? 会ったの?」
ギン!と顔あげて、泰子は竜児に期待に満ちた目を向けてくる。

「え、あ、いや、そ、そうなんだけど…」
なんで大河の名前を口に出しただけで、そこに繋がる? 超能力者なのか?やっぱり。

「やったー! 竜ちゃん、大河ちゃんに会ったんだね。やっぱり大河ちゃんがいなくなるなんて
絶対無いって、やっちゃん、言ってたでしょ! ねぇ、明日も来るんでしょ?」
「いや、あ、明日は無理なんだ…」
「えぇー、ひどーい。大河ちゃんだけ仲間はずれにするなんて、竜ちゃんひどいよ、冷たいよ。
ねぇ、じゃあ、いつ来てくれるの? 来週?再来週? 来てくれるって、お嫁さんにじゃないよ、
やっちゃんそこまで欲張りじゃないからね。お店に来てー、やっちゃんのお料理を食べてもらうの…」

言えねぇ。
大河の名前1つで、ここまで盛り上がる泰子に、今の大河が置かれている境遇はとても言えねぇ… 
それこそ「やっちゃんが助ける!」と有無を言わさず乗り込んで行きそうだ。
とりあえず、この場は何とかごまかして、泰子対策はまたゆっくり考えるしかない。

「ぐ、偶然すれ違っただけなんだ。え、駅のホームで。お互いに電車の出発時間だったから、
一言二言しか話せなくて。残念だったけどまた連絡くれる、ってことになってる。大河から」
「えー、そうなのー」
「大河も色々忙しいらしくてさ、こっちに来られるようになったら、必ず教えるって言ってたからさ、
待っててやってくれよな…」
「ふーん… そーなのー? なんかつまんないー やっちゃん、お風呂はいるー」
泰子はブーたれながらも、事情を察したのかそうでないのか、それ以上詳しく聞いてこようとしなかった。

竜児はホッと安心のため息を漏らすと、スーツを脱いでハンガーに掛け、丁寧にブラッシングしてから、
ここ数日間の衣類が溜まった荷物を解きはじめるだった。



翌日、竜児は久し振りに自宅の掃除、洗濯、片付けを心行くまで堪能すると、大勢の仲間を迎える
仕込みを手伝うつもりで。早めに弁財天国に向かうことにした。
泰子は商店街でのクリスマスイベントの会合があるとかで、朝から出掛けていき、そのまま店に
出るようだ。昨日話した大河のことも聞いてこなかった。

研修に行った地方の名産品を片手に、ぶらぶらと商店街に向かって歩いて行く。
これでタイ風エスニック焼うどんでも作って、皆に振る舞ったら、さぞかし好評だろう。
となると、やっぱりナンプラーとパクチーは欠かせないな、じゃあ、あの店で調達するか、と
レシピと手順を考える。それは、竜児にとって心休まるひとときの一つでもある。

大河を救い出すことを忘れて、うつつを抜かしているのではない。あの夜から、何度も何度も考えてきた。
考えは堂々巡りとなり、まだ、これという方法は見つけられていない。行き詰まった時は一度考えるのを
やめた方がいい、もしくは他人に話すか、だ。
今日の集まりはその大事な機会になる。だから一度頭をリセットしておきたい…商店街のはずれにある
アジア系雑貨や食品を扱っている店を目指しながら、竜児はそんなことを考えていた。

その時、通りがかった路地の向こうから奇妙な音が耳に飛び込んできた。

「げぼぉっ!」
何の音だ? 人の声? そう何か吐くような…

ふっと路地を見ると、15m程奥の角で、男が地面に手をついて、苦しそうに呻いている。

辺りに人は少なく、その様子に気付いた人は他にいない。用事のある人は足早に通り過ぎていき、
考え事をしながら、ぷらぷら歩いているのは自分ぐらいなものだ。

男と目が合った。
「た…すけ…て…くれ」
と男の口が動いたように見えた。白いものが混じった髪を短く刈り込んだ、痩せた初老の男。
大河がいる店のマスターを少し思い出す。

目の前で苦しんでいる人を放置できるヤツの中に、高須竜児の名前は含まれていない。
竜児は迷わず、四つん這いになっている男に駆け寄ると声を掛けた。

「大丈夫ですか?」
「あぁ、す、すまんな… も、もう大丈夫…だ。すまんが、ちょっと手を貸してくれないか…」
「あ、はい」
そう言って手を伸ばした瞬間だった。

「え?」
男は竜児の背面に回ると、両脇から手を入れて、竜児の身体をガッチリと掴んだ。
一瞬なにが起こったのか判断がつかない程の早さ、身のこなしだった。

「ちょっ、と、な、なんだよ、何すんだよ!」
抗議の声をあげたが、全くとりあってもらえず、路地の奥へと強い力で引き摺られて行く。
そして、L字型の路地の角を曲がった瞬間、もう1人の男が立っているのが視界に飛び込んできた。



こちらは見た目がとてもわかりやすい。黒のスーツにグレーのシャツ、赤の派手なネクタイに
オールバックの髪。コートの類いは着ていないが、白いマフラーをマフィア風に結ばず掛けている
誰がどう見たって、ヤクザ者と分かる容姿だった。

「ははーん、噂には聞いてたけど、お前、ホンマ目つき悪いなぁ。絶対筋モンやと思てまうわ」
柄の悪い関西弁を話す男は竜児の顔を舐め回すように見ると、これから始まることが楽しみだという風に
にやりと笑った。背後では相変わらず、初老の痩せた男ががっちりと竜児を羽交い締めにしている。

「ところで兄ちゃん、例のちっちゃい姉ちゃんに会うたんやってなぁ。とら? たいが言うんやっけ?」
「な!」
何故、大河のことを知ってる? 竜児の頭の中が激しく混乱する。
「で、どこにおんねん。ちっちゃい姉ちゃんとそのオカンは?」
「し、知らねぇ…」

パンッ
いきなり頬に衝撃が走り、軽い痛みと共にじわりと熱を帯びてきた。
昔に喰らっていた大河の「ビンタ☆」に比べたら、蚊にさされた程だが向こうもまだ手加減しているのだろう。

「お前、ナメた口利いとったら、しばきたおすぞボケ! お前らが会うたんは知っとんのや、
さっさと居場所言えや!」
ヤクザ者は、そう言うと手のひらと甲で竜児の頬を左右交互にピタピタと叩き、最後に顎をぐっと掴んで、
万力のような力で締め上げてくる。

だめだ。どこで知ったかは分からないが、こんなことでペラペラと喋る訳には行かない。
どうする? どう切り抜ければいい……


* * * * *


その頃、すぐ近くの表通りを、大学生のカップルが楽しげに歩いていた。

2人の背丈の差はあまりなく、どちらも優しげ瞳に明るい髪の色、彼女の方はやや赤がかかっている。
彼氏はネイビーのダッフルコートにカーキのチノパン、彼女はオフホワイトのモヘアのセーターの上に
ピンクのコートを羽織り、チェック柄のスカート。コートの間から時折覗くセーターの下の2つの大きな
膨らみは隠しようがなく、彼女はそれを押しつけるかのように彼氏の腕にしがみついて、ぴったりと
寄り添いながら歩いている。

2人は歩きながら、時折見つめ合い、ニッコリと微笑みを交わしては、辺りにピンク色のオーラを
振りまいていた。

その時、ふと彼氏が歩みを止めて、少し険しい顔でポツリと呟いた。
「なんか… 嫌な予感がする…」
「ひっ! 久し振りに来たの? まさか、何か起こるの? 」
彼女は怯えたように、急に辺りを見回し始めた。

「え? あぁ、たぶん僕は大丈夫だよ。でもあの辺になんか嫌な感じがするんだ」
と、先程、竜児が入って行った路地の方を指差した。
「ちょっと気になるから見てくる。ここで待ってて」
「ちょ、ちょっと待ってよ。私も行くー」

そろりそろりと路地に入って行く彼氏の後を、彼女も慌ててついて行った…



「どや? 兄ちゃん、何か思い出したか」
顔の下半分をギリギリと締めつけられながら、竜児は昨日泰子に口から出任せで話したことを
思い出した。

「ふぁうにはふぁった」
「なんや?」
ヤクザ者が竜児のアゴから手を放す。

「はぁはぁ… あ、会うには会った、でも居場所とか聞いてない」
「はぁ?」
「え、駅で偶然すれ違っただけなんだ。一言二言、どうしてる、元気か? なんて話したけど、
それ以上は何も…」

ガッ
ふたたびヤクザ者の手が竜児のアゴをがっちりと掴んだ
「……お前なぁ、そんなしょうもないウソ、通用するとおもってんのか、あぁ? いっぺん痛い目みんと
分からんらしいなぁ。おい、おっさん、代われや」
「はい」

そういうと竜児が逃がれる間もなく、2人は羽交い締めの役を交代し、さっき竜児が助けようとした男が
視界に入ってきた。四つん這いになって吐くフリをしていた時は、しょぼくれた姿に見えたが、今、眼前に
立つ男は、年齢こそ初老の部類だが、引き締まった体躯に、鋭い目つき、先程からの軽やかな身のこなしと、
間違いなくボクサーかなにかのプロの世界にいた人間であることは、格闘技にうとい竜児でも分かる。

「お前、覚悟せえよ。コイツはボクシングの元日本チャンプでなぁ。ちょっと痛いじゃすまへんで。
たぶんあと30秒後には昼に食うたもんとご対面やな… オイ、やったれ!」

「…坊主、悪いな」
竜児に向かってそう囁くと元ボクサーの男は半歩下がった。
マズい、これは本当にマズい。逃げなければ、と身体を揺するが、ヘラヘラしたヤクザ者もやはり
いっぱしの力は持っており、体格では勝っている筈の竜児の身体をビクともしない力で押さえつけている。

「心配するな。内臓には影響の少ないようにする。むしろヘタに避けようとしないことだ。余計に痛むぞ」
元ボクサーがさらっといってのけた。

こ、この冷静さが恐ろしい… 今、“助けて”と大声で叫んでも男の声ではとても表通りまで聞こえない。
周りの建物に住んでいる人も少なそうだし、どうすれば、どうすればいい?

竜児の目を見つめたまま、元ボクサーは拳を軽く捻りながら、ゆっくりと右腕を後ろに引く。

来る! 
もう、駄目元でもいい、叫ぶしか無い。
「たす…」「だぁれかぁー! たーすけてぇええーーーー!!!!」
竜児の声をかき消すように、突然、路地裏に黄色い、いやピンク色の若い女の声が響き渡った。

「何?」「何や?」
ヤクザ者と元ボクサーが動きを止め、路地の角の向こうの声の正体を探ろうとした時、今度は反対側から、
若い男の声が響いた。
「おまわりさん、こっちです。来てください!!」

振り返ると、ネイビーのコートをまとった若い男が路地の出口の方へ、チラリとこちらの方を見ながら、
するすると猫のように駈けて行く。いつの間にそんな距離まで近づいていたのか、気配すら感じなかった。

「仲間がおったんか。待てやコラ! 待たんかい! オイ、お前そいつ掴まえとけ。おまわりなんか嘘や、
あいつも捕まえて吐かせたる」
そう言うとヤクザ者は若い男を追って走り出した。



ヤクザ者がいなくなるのと同時に路地の角からピンクのコートを着た若い女が姿を見せた。
その姿を見て、元ボクサーは「命拾いしたな」とだけ竜児の耳元で囁くと、顔を隠すように俯きながら、
ヤクザ者が走っていた方と反対側に去って行った。

現れたのは、狩野姉妹の妹の方、大学生になってもまだあどけなさが残り、冬だというのに春めいた
雰囲気を身にまとっている、狩野さくらだった。

「えっ? か、狩野先輩の妹さん? ってことはじゃあ、あっちは黒猫お…、いや富家君だったのか?」
「さくらでいいですよ。高須先輩、大丈夫ですか?」
「あぁ、危ないところだった… って、それより富家君が」
「幸太君なら多分大丈夫だと思います。ほら」
そういうとさくらは耳に手を当て、遠くの音を聞くような仕草をする。

キキーッ、遠くで車が急ブレーキを踏んだような音が聞こえた。同時に「な、なんで車がぁああああーっ」
という、間違いなくさっきのヤクザ者の絶叫、続けてドサドサっと何か物が落ちてくる音、そして静寂…

「ね、大丈夫でしょ」
さくらは上目遣いでにっこりと竜児に微笑みかける。さっきまでの緊迫してたムードがまるで嘘のようだ。

「幸太君、最近、かなりコントロールできるようになったんですよ」
「コントロールって、ひょっとして、あの…」
竜児は、高校時代、富家幸太によって(主に大河に)もたらされたであろう不幸の数々を思い返していた。

「そ、不幸体質。あれは幸太君が真剣になればなる程、発生しやすくなるんですよ。
そして、“こんなことが起きたらいやだなー”って思ったことが起きるんです。だから今、幸太君は
必死に走って逃げて、角を曲がって車にぶつかったらと嫌だなーって、考えていたんだと思います」
「そ、それは富家君には降り掛からないのか?」
「予め分かっていたら回避できますよ。そして避けられた不幸は、別の誰かに…」
「そ、それは恐ろしいな… だけど、とにかく助かったよ。さくらちゃん、有難う」
「いいえ。あの… 逢坂先輩とまだ離ればなれなんですよね。高須先輩、絶対に逢坂先輩を取り戻して
くださいね」

さくらは竜児の両手を掴み、ギュッと握りしめるとこれまで見たことの無い真剣な目つきで、竜児に
語りかけてきた。
「私も幸太君も逢坂先輩と色々ありましたけど、ぜんっぜん気にしてませんから。高須先輩と
逢坂先輩がまた一緒になれるように応援してますから!!」
「あ、ありがとう。が、頑張るよ」
「じゃあ私、幸太君の様子、見てきますね。多分大丈夫だと思いますけど。あと駅にもいかなきゃ
いけないし」
「分かった。くれぐれも無理するなよ。相手は本物のヤク、あ、まぁいいや、絶対あいつらに
関わらないように」
「はいっ!」
そういうとピンクのコートをひるがえして、あっという間にさくらは駈けて行く。
竜児はあっけにとられたように、その姿を見送った。

一体いま起こったことはなんなんだ…? 本当に現実に起きたことなのか…
そういえば、さくらは大河がいなくなった話を知っていたみたいだが、誰が話したんだ…?

そこで、大河に会ったことをヤクザに知られたことを思い起こし、ゾッと背筋が寒くなる。
「俺、つけられてたんだ… 誰かに話しているのを聞かれた? あいつら、どこまで知ってるんだ…」

竜児は何も分からないまま、路地を離れて表通りに出た。まずこの場を離れよう、元ボクサーも
逃げたままだし、タイ風エスニック焼うどんはあきらめて、まっすぐ弁財天国に向かおう。
状況を整理するんだ、どこで漏れた? どうやって? 冷静になって考えるんだ… 

途中で何度も後ろを振り返り、冬だというのに止まらない汗を拭いながら、竜児は足を早めていった。




夕方、久し振りに弁財天国にいつもと変わらぬ元2-Cのメンツが揃った。大河と北村を除いて。

再会を喜ぶ声を掛け合った後、竜児は店の一番奥にある、最近拡張したばかりの和室に皆を案内した。
いまや有名人である亜美が人目に触れにくいように、という泰子の配慮である。同時に、厨房にいる
泰子に話を聞かれないという点でも竜児には好都合だった。

互いの近況を報告し合いながら、腹が減ってはいくさはできぬ、と竜児お手製のお好み焼き&
やきそばを皆に振る舞った後、話題は大河のことになっていく。
竜児は、まだ詳しく話していなかった春田と奈々子に、大河の状況をかいつまんで説明した。

「3億! マジで?」
「ああ。今、大河が背負ってる借金の額は3億円だ」
「なにそれ? ジャンボ宝くじの1等でも当てないとだめじゃない。普通のサラリーマンのお給料じゃ、
一生掛かっても払えないわね」
「それに麻薬の密輸ルートって何? どこの刑事ドラマよ、それ?」

2人が呆然としている中、亜美は能登の隣にやって来ると、耳元に顔を寄せて話し掛けた。
「ねえ、能登君。あんたんとこの週刊誌で、私のヌード撮らない? ギャラは3億円で」
「うひょー、亜美ちゃんのヌードぉ ってえええええ?」
「春田のバカ!」
「亜美ちゃんダメよ」
「川嶋、お前何言ってんだ!」
麻耶、奈々子に続いて、竜児も思わず大きな声をあげていた。

「亜美ちゃんさ、もし俺がそんなのネタ取ってきたら、局長賞ものだけど。違うだろ、それ。
あと、羽振りのよかった昔と違って、今はそんなギャラは出ないしさ」
亜美の本心をすぐさま見抜き、冷静に答えを返す能登は、いっぱしの記者の雰囲気を醸し出していた。
それでも亜美は、最も早い解決方法と信じて引き下がろうとしない。

「バストトップもヘアも見せていい。映像でもいいよ。出してよ3億。大手でしょ、一流出版社でしょ! 
ここにいる仲間ですぐ3億を稼げるとしたら、あたし以外にいない。だからあたしがタイガーを助けるの」

その時、隣で黙って聞いていた実乃梨が、亜美の肩を強く掴んだ。
「あーみん、そこまでだ。あーみんの気持ちはみんな良く分かった。でも大河は喜ばない。
むしろ、そんなことしたら、あーみんは一生大河と会えなくなるよ。いいの? それでも?」

「私は別に構わない。あいつが今の暮らしから抜け出せるなら、二度とあいつに会えなくったっていい!」
「落ち着け、川嶋。それじゃ解決にはならないんだ。むしろ余計に大河を追い込む。自分のせい、自分が
いるからって思ったら、お前どうすんだ?」
「だって、たか…す君…」
「川嶋、ありがとな。お前の気持ち、いつか大河に届けるよ。だけどもっと違う方法を考えよう」




亜美の提案が決しておかしなものじゃないというように、能登がさりげなく話を継いだ。
しかし、その口調も苦々しいものだった。
「俺、たかっちゃんから話聞いてさ、すぐにデスクに掛け合ったんだよ。父親とヤクザにこんな酷い目に
あわされてる友人がいる。記事書いて救いたいってさ」
「能登…」
「そしたら、なんて言われたと思う? そんな話、今時ちっとも珍しくない、読者も興味ないってさ。
オマケに自分の友達を記事で救おうなんて、それこそ公器の私物化だろって、怒鳴られた」
「うわぁ、キビしいねぇ…」
「なんなんだろうな、ジャーナリズムって。大切な友人1人救えず、芸能人のくっついたとか、
別れたってのばっか追いかけさせられてさ。亜美ちゃん、芸能界ってホント腐ってるよな?」

能登の投げやりな発言に、立ちどころに元2-C美少女トリオのメンバーから集中砲火が浴びせられる。
「そんな奴らと亜美ちゃんを一緒にしないで」
「久光、亜美ちゃんにグチってもしょーがないでしょ! バカ」

「奈々子、麻耶、ありがと。でも能登君の言う通り、やっぱり芸能界ってさ、色々あるんだ。
私もタイガーを探すの頼んでた興信所を呼びつけて、ヤクザの情報とか、なにか対処する方法を
相談しようとしたら、パパとママに止められた」
「え? やっぱ亜美ちゃんちの親も、そういうのあるんだー?」
「アホ、ウチの親は関係ない。ただ、1つの作品に大勢の人が関わってるんだよね、この世界。
ヤクザとトラブルになってることが、たとえ噂でも表に出たら、作品が公開できなくなるかもしれないの」
「厳しいんだね…」
「実際に裏の世界と繋がっている人達も業界にはいる。色んなリスクを考えてお前は行動しているのか、
万一の時、1人で不利益を背負えるのかって親に言われたら、何も言い返せなくなっちゃった。
だったら、この身一つでやれるのは、ヌードしか無いかなって思ったのよ…」
亜美は、能登を庇いつつ、さっきの話が考えあぐねた末の苦渋の決断だったことを告げた。

「ねぇ、他に何かないの? こう、バーッとタイガーを救い出せるようなの? たかっちゃんは
何か考えてるよね? 櫛枝氏は? バット持って殴り込み? それダメじゃん。俺バカだから
思いつかなくてさ!」
春田が何とか雰囲気を盛り上げようと奮闘するが、誰も言葉を継げるものはいなかった。

「すまん。俺もまだいい考えが浮かばないんだ…」
竜児は正直に言うしかなかった。先頭を切って考えなきゃいけないのに、ヤクザに見つかったという
混乱が尾を引いているのか、あれから何も考えが進まない。

「何? みんなおしまい? じゃ、打つ手無しってこと・・・?」
力なく、春田がつぶやいた… 




「なんだお前ら、雁首そろえてしょぼくれて、お通夜でも開いているのか?」
その時、懐かしくも漢らしい声が和室全体に響きわたった。

全員が一斉に振り返ると、元 大橋高校全校生徒の心の兄貴にして、狩野姉妹の兄の方、狩野すみれが
腕を組んで、部屋の入り口にすっくと立っていた。北村祐作を後ろに従えて。


「え、兄貴? なんでここに? アメリカじゃないの? てかなんでまるおと一緒?」
麻耶が素っ頓狂な声をあげて驚く。竜児も他の仲間も頭の中が「?」だらけだ。

「アメリカはもうクリスマス休暇に入ったのでな。やはり正月は日本で迎えるのが一番だろ。
ということで一時帰国だ。なに? こいつのことか? 祐作とは今つきあっている。集まりに
顔を出すというからついてきた。それだけだ」

「それだけって?」「つきあってるって?」「“祐作”って…」
「「「「「「「ええええええーっ!!」」」」」」

後ろから、照れた顔で北村が前に出てきた。
「いやぁ、大学が同じ市内だろ、たまに連絡は取ってたんだけど、ある時、会長が、いや、すみれさんが」
「お前なぁ、何回言ったらわかるんだ、会長はやめろ、すみれって呼び捨てにしろって言ってんだろ!」
「む、無理ですよ、そんなの。で、すみれさんがある時、勉強のし過ぎとストレスで倒れて、その時に
看病してから…なんかそういうことになってしまってな、はっはっは…」
「祐作にはずいぶん世話になった。アメリカに来て、ハーバードを優秀な成績で卒業し、今はロースクールだ。
その実績と心意気に免じて、だな」
「ねぇ奈々子、兄貴、なんか顔赤いよ…」
「う、うるせぇ。私はそもそも別になんとも…」
「あらぁ、そうだっけ? タイガーとの一戦の時、ひっでぇツラで“好きなんて言ったら”とか
言ってなかたっけ? 元生徒会長さん」

亜美の毒牙がギラリと光ったが、その矛先はすぐに祐作へと向かう。
「ゆ・う・さ・くクン、ヨカッタね!」
「はは、亜美。幼馴染みをからかうもんじゃないぞ。それより逢坂は? 逢坂の件はどうなってるんだ。
居場所が分かったって一報は高須からメールをもらったが…」

「あっ…」
「そうだった…」
「「「はぁぁ……」」」
何人か同時にやるせないため息をつく。

「いやぁ、今、話し合ってたんだけどさ、ちょっと行き詰まっちゃって…」
実乃梨がバツが悪そうに頭を掻きながら、皆の気持ちを代弁した。

「高須、帰国の移動中で連絡が取れなくて悪かったが、状況を教えてくれ。会長、いや、すみれさん
にも是非一緒に聞いてもらいたいんだ。しかし、その前に高須が作ったお好み焼きを食するのが
最初の使命だな。いやー、卒業式の打ち上げ以来だ。どーれ、このエビが入った奴から頂くとするか」

北村は鉄板のうえから竜児が焼いたお好み焼きを手づかみで取り、まるでピザでも食べるように、
パクっと一切れを丸ごと口の中に放り込んだ。

「ふん!ふまぁい。実にふまぁいぞ。高須。日本の味だな、これは」
「やだ、まるお君、ソースたれてる」
「ほんっと、祐作は行儀悪いんだから…」
「ああ、好きなだけ食ってくれ、で、食いながら聞いてくれ。大河の陥っている状況は想像以上に
複雑でな…」

落ち込んだ雰囲気を盛り上げようとする北村の振舞いに感謝しつつ、竜児は実乃梨と見聞きした
大河の様子を改めて伝えるのだった。



「…ということで、今は大河は店のマスターに任せて、俺達は救う方法を考えているんだが、
いい案が無くてな、亜美、能登が考えてくれたことは話した通りだ…」
竜児はここまでの顛末を話し終えた。

「…よぅーし、そういうことなら、俺がなんとかしよう!」
拳を握りしめ、もう1人の元生徒会長がすっくと立ち上がって、高らかに宣言した。

「な、何か方法があるのか? 北村!」
竜児は、思わず声がうわずってしまうのを止められない。
さすが北村は頼りになる… 地獄に仏、さもなくば、垂らされた1本の蜘蛛の糸のように、
全員が北村を期待に満ちた目で見つめている。

「こういうのはだな、まず相手と対等に立たなきゃ行けない。それが基本だ。金融屋の場合、
そもそも契約の正当性が怪しいものだから、そこを衝こう。叩けば後ろ暗い所のある奴らだろう?
今まで相手が分からず、手の打ちようがなかったが、今は違う。
よし、俺は正月過ぎまで日本にいるから、契約の無効と今まで払った金の返還を交渉しに行こう!」
「えっ? 北村、おまえが?」
「ああ、任せとけ。ディベートなら大学で散々鍛えている。法律の知識は言うまでもない」
「でもまるお、ヤクザもいるんだよ…」
麻耶が心配げにつぶやいた。

「そっちは高須、まずお前が囮になってくれ。相手と接触して話をするんだ。いいか、こっちの
立場が弱いと思われるからつけ込まれる。そもそも向こうはイリーガルな存在だし、向こうが
欲しがっている情報はこっちが握っているんだ。交渉するフリをして、裏で警察とも連携すれば、
相手をやりこめるチャンスはいくらでも作れるぞ!」

「おぉっ、さすがは北村っちだ、カッチョええ!」
春田が立ち上がって拳を振り上げる、が、すぐに下ろして首をかしげた。
「でも、そのやり方でいいんだっけ…?」

ゴンッ!
鈍い音が部屋の中に響き渡る。
春田から北村に視線を戻すと、すみれが腰を下ろしたばかりの北村の頭を掴んで、顔面を思いっきり
テーブルに叩き付けていた。

「あちゃー、大先生…」
「やだ、まるお痛そう…」
「角だよ、カドにばっちり入ってますよ」
「眼鏡、割れてないかしら?」
「やっぱ祐作、変わってないわ… てか高須君が囮って何?」
「北村、おまえ…」
みんなのつぶやきを書き消すように、すみれの絶叫が響く。

「バカかてめえは。ここはアメリカじゃねぇ、日本だ。何を勉強してんだよっ! いいか、日本は
司法取引も証人保護プログラムも未発達だ。そんでもって、ヤクザも金融屋もそんなに甘くはねぇ。
家族や知人を巻き込んですぐ仕返しにくるぞ。逢坂がそれを最も避けたいと思っているのに
気付かねぇなんて、てめぇはなんて頭してんだ、あーあ、さっきの褒め言葉も取り消しだ」

「か、会長。しかし…」
額にクッキリと赤い筋をつけたまま、北村が顔をあげて、痛みに顔をしかめながら、反論しようとする。

「しかしもへったくれもねぇ。いいか、これはてめぇらごときの頭で、手に負える問題じゃねぇ。
ここは大人しく手を引け。逢坂母娘が自力で解決するか、さもなくば警察に行って、全てを話す準備と
覚悟ができねぇ限り、てめぇらが手を出したってどうにもならねぇ。ただの世間知らずか、頭がおかしい
のか知らねぇが、何とかしようなんて無理だ。あきらめろ」

「えっ…?」
北村とすみれの登場で盛り上がった場が、その倍の速度であっという間に冷えて行く…



「うそ… 兄貴がそんなこと言うなんて、どうして…?」
「やだ、狩野先輩って、そういうキャラ? もっと熱いと思ってたのに…」
「はん、さすがは優等生の鏡。言うことがまともすぎて話になりませーん」

元2-C美少女トリオの泣き落としや嫌みにも一切動じず、すみれは全員を睨みつけている。
しかし、北村だけは怯むことなく、食い下がって行く。

「すみれさん、いや会長。会長の方こそおかしいと言わせてもらいますよ。確かに俺が話したやり方は
マズかったかもしれません。でもあきらめろなんて、会長はそういう人だったんですか? 
会長だって、逢坂のことを気骨のあるヤツだって、褒めてたじゃないですか? その友人が窮地に
陥ってるんですよ。救おうとするのがどうしていけないんですか!」
「だからっ!」
「いえ、俺は会長に止められてもやりますよ。逢坂がいなかったら、今、こうして会長と一緒に
いられなかった。だから、やらせてください!」
「だから、人の話を聞けっ!」
「いいえ、聞きません!」
「だから、そんなことをして、もしお前が刺されでもしたら、この子はどうなるんだよっ!!」

ぐいっと傾けられたすみれの右手の親指は、自分の下腹部を真っ直ぐに指していた。

「へっ?」
「この子って?」
「まさか赤ちゃん?」
「「「「「「「うそーっ!」」」」」」」」

今夜2度目のサプライズ
「“付き合ってる”ってさっき聞いたばかりなのに、妊娠? 子供? 飛躍し過ぎだっつーの…」
亜美の言葉がその場にいた仲間全員の気持ちを表していた。

すみれは自分のお腹を優しく撫でながら、やれやれと呟いて話を続けた。
「ったく、ここで喋るつもりはなかったのに、なんてザマだ。そうだよ、私の腹ん中には祐作との
子供がいる。まだ2ヶ月ぐらいだがな。クソ忙しいのにアメリカから帰国したのはそれが理由だ。
ちゃんと日本で籍入れて、両家のご挨拶ってのをやってだな。結婚式はまぁ気が向いたら、だな」

「う、宇宙飛行士の夢はどうするんですか?」
大河の話そっちのけで、思わず竜児はすみれに問い掛けていた。

「何? 予定どおり何も変わらないが? 元々、来年には日本に帰って来るつもりだったんだ。
向こうでの勉強も一区切りついたし、日本人として宇宙飛行士を目指すなら、一度帰ってJAXAに
入るのもいいという教授のアドバイスもあってな。子供も生むなら早い方がいいだろうし、すぐに
復帰して、順調に行けば、いずれNASAに行ける。それにママさん宇宙飛行士なんて、世界にも
日本にもいて、全く珍しくないぞ」

「あ、よ、良かったです…」
竜児はホッとしたように、胸を撫で下ろしている。そして、北村の方を振り返ると、一足飛びに
夢を一つ叶えた親友に軽くパンチをかまし、手荒い祝福を浴びせるのだった。
「やったな、北村!」
「大先生すげー」
「父親だよ、パパだよ、とーちゃんだよ、ひぇーっ!」

大河を助けようと振るった熱弁をすみれに思わぬ形で跳ね返されて、北村しばし呆然としてたが、
悪友3人に冷やかしを受けると、まんざら悪い気はしないというように、額に赤い筋をつけたまま、
照れくさそうに頭を掻いていた。
「いやぁ、俺もすみれさんに合わせて、来年、日本に帰国しようと思っている。ロースクールも
短期コースに変えたし、来年の後半は日本で子育てしながら、こっちの大学院通い、かな? 
親には迷惑かけっぱなしになるが…」



「帰って来るのか! 日本に」
竜児はその三白眼をギラリと輝かせた。勿論“こいつ、のしてやろうか”と思っているのではなく、
喜んでいるのだ。いつ終わるか分からない大河の救出に、調子に乗りすぎるきらいはあるとはいえ、
北村が近くにいてくれれば、心強い味方になるに違いない。

「さて、落ち着いたところで、逢坂の件に戻ろうか。おっ、お前らいい所に来たな。頼んでいたものは
買えたか?」
和室の入り口を見ると、富家幸太と狩野さくらのカップルが大きめの紙袋をぶらさげて立っていた。

「買えたけど… お姉ちゃん、これ何に使うの?」
訝しげにさくらは紙袋を持ち上げてみせるが、すみれは答えず
「まぁ後で必要なるはずだからそこに置いとけ」
とさくらに伝えている。

竜児は立ち上がると入り口に立つ2人の側に来て、昼間に助けてもらった礼を言った。
「さっきはありがとう。おかげで助かった。あの後大丈夫だったか?」
幸太は軽く肩をすくめると、事も無げにさっきの顛末を話した。
「大丈夫です。あの男は車を避けた拍子に電柱に頭ぶつけて、さらにふらふらしながら積み上げた
ダンボールの山に突っ込んで、のびてましたから。僕もさっさと逃げてきたので、その後どうなったかは
知りませんが」
「そうか。君達に何も無くて、良かった」
竜児は安心して、ホッと息をついた。

「なーに? 黒猫男がまた何かやらかしたの?」
竜児の肩越しに、亜美がいじわるそうに聞いてくる。
「ちがうもん! 幸太君はもう黒猫男じゃないもん。さっきだって高須先輩をヤクザから助けたんだから!」
さくらが思いっきり、頬を膨らましながら、亜美に向かって抗議の声を上げた。

「ヤクザって、なんのこと?」
「たかっちゃん、襲われたの?」
「なんだ、まだ話していなかったのか? 高須」
「あ…、いや、襲われたって程じゃなくて…」
竜児は慌てて、否定しようとするが、
「でも止めに入らなかったら、殴られてましたよね。あのボクサーみたいな男に」
幸太にさくっと覆された。

ボコッ
「痛っ!」
竜児の頭に、実乃梨と亜美の空手チョップが2発同時に喰らわされた。こっちの方がヤクザ者より痛い。
「高須君、何でそういう大事なことを最初に話さないかなー」
実乃梨はチョップをグーに変えると、竜児の頭にグリグリと擦り付け始めた
「祐作が言ってた“囮”ってそういうこと。ひょっとして、あたしたちがビビるかと思ってたの? 
あーあ、見くびられたもんだねぇ…」
亜美は竜児のアゴ先を手で持ち上げて、女王様モード全開で侮蔑のまなざしをくれている。

「いや、そうじゃない。じ、順を追って話して行こうと思っただけで隠すつもりは…」
「「問答無用!」」
「あ、イテテテテ!」
息もぴったりに、実乃梨と亜美は竜児の頬を両側からグニュッとつねりあげると
「「これで許してやるか!」」
とハイタッチを交わす。



「コントの時間は終わったか。さて、ずいぶん寄り道したが、本題に戻ろう。おまえら良く聞け、
私が高校の進学を控えた時、スーパーかのう屋がつぶれそうになったことがある。幸太、お前は
聞いたことあるよな。私が私立の進学校をあきらめ、大橋高校に入学した話を」

「はい。さくらちゃんの追試の前日、徹夜で勉強した時に聞きました」
「あの追試から始まったんだよねぇ、私達…」
「えへっ、そうだよね。さくらちゃん…」
「うふん…」「あはっ…」
2人はうっとりと見つめ合い、ピンク色のオーラを発生しはじめた。

「空気読めっつうの…」
「あんたたち、付き合って何年経つの?」
「あーあ、兄貴と大先生の子供に、いとこができるのも時間の問題だな…」
亜美と麻耶&能登のツッコミもお構いなしに、2人はピンク色の磁場を作り続けている。

「あー、姉としては心苦しいのだが、このアホどもは仕様なので放っておいてやってくれ。
で、かのう屋が傾いたのは、何もウチのオヤジとおふくろが手を抜いていたからじゃない。
昔、商売を始めた時の恩人の連帯保証人になって、その借金を負わされたからだ。
で、ヤクザに散々な目に合わされたんだよ。ウチは」
「連帯保証人… 大河と同じだ」
実乃梨が固い表情で繰り返す。

「え? お姉ちゃん、そんなことあったの? 私、知らないよ?」
異空間から還って来たさくらが、きょとんとした表情ですみれに尋ねている。
「お前はまだ小学生から中1だったからな。巻き込まれないよう、怖がらせないよう、必死に
隠してたんだよ。エグかったぞ、奴らの手口は。脅し、嫌がらせ、腐った食品を売ってるという
デマも流されかけた」
「そんなこと、あったんだ…」
家族の一大事に仲間はずれだったことを知って、淋しげな表情を浮かべるさくらの肩を抱いて、
幸太が(終わったことだよ…)と目で告げている。

すみれはしょげかえる妹の様子も意に介さず、話を続けた。
「今思えば、ウチの土地を手に入れたいがために、最初から仕組まれていたんだろうな。
親がなんとか頑張って借金を返したあとも、今度はメンツをつぶされたとか言って、下っ端が難癖を
つけたり、暴力を振るって来た。奴らは身体に証拠が残らないようなダメージの与え方だって知って
いる。本当に人間のクズだ、ダニどもだ。そんな奴らと交渉? そういうのは飛んで火にいる夏の虫
というんだ…」

竜児はおもわずみぞおちの辺りを抑えていた。
“避けようとすると余計に痛むぞ…” 元ボクサーから言われた言葉が甦る。同じだ。あいつらは
やっぱり本物のヤクザなんだ…

「警察は? 警察には届けなかったんですか?」
興味が湧いたのだろう、能登が記者の顔ですみれに聞いてきた。
「借金があるうちは民事不介入。そのあとの嫌がらせにも大した対応はなかったが、さすがに写真や
テープでいやがらせの証拠を何点か出したら、重い腰をあげてきたな。ケリをつけたのはやはり警察だ。
逢坂の場合も、最後は警察に頼らざるを得ないだろう。組織対組織、上で決着が付かない限り、ここまで
デカい話はキレイには終わらないぞ」

「だったら方針を変えて、今すぐにでも警察に力を借りましょう」
再び北村が主張を始める。
「馬鹿野郎、高須はすでに目をつけられている。身体への危機すらあった。警察に駆け込む気配が
バレたら、奴ら全力で阻止しにくるぞ。まだその時じゃない!」
「じゃあ、いつなんですか? いつまで逢坂を放っておくんですか!」

北村とすみれの言い合いが再びヒートアップしかけたその瞬間、
「あの!」
柔らかいがきっぱりとした声が響いた。



「みんな! 大事なこと、忘れてると思う!」

声の主の方を全員が振り返ると、香椎奈々子が正座したまま、背筋をピンっと伸ばし、今までに
見たことも聞いたことも無い様な迫力を目と声に宿して、全員に語りかける。

「タイガー自身が助けて欲しいって思わないと、何をやったってダメだと思うよ。言うじゃない、
溺れている人に浮き輪を投げても自分から掴まらなきゃ沈んでしまう。崖から落ちそうな人の腕を
掴んでも互いに引き合わなければ、引き上げられない。交渉とか警察とか色々話してるけど、
タイガーが力を貸して欲しいと思わなければ、きっと失敗する。まず、一緒に力を合わせるよう、
タイガーを説得するのが先じゃないのかな?」

「奈々子… すごい…」
今まで見たことのない親友の姿に、麻耶が驚いたように奈々子を見つめている。
「ほう… お前らの中にもまともなことを言う奴がいたんだな。感心感心」
すみれは腕を組んだまま、満足そうに微笑んだ。

…いや、それは難しいんじゃないか… 竜児はそう考えていた。
バーで見た大河の心は頑なで、とても竜児達を頼るようには見えなかった。だから大河を縛るものを
取り除く方法がなければ、大河は振り返ることすらできない… そう発言しようとしたその時…

「私がやるよ!」
という実乃梨の大きな声に阻まれた。

「奈々子ちゃんの言ってること、正しいと思うよ。うん、私もそう思う。だけど大河の決意は
厚くて固い。だから最初に私がぶつかる。破れなくても穴ぐらいはあけられるかもしれない。
その次は高須君、キミの出番だ。大河の心を本当に掴めるのはキミだけだよ」

「くし…えだ…?」
今や全員が竜児を見て、期待に満ちた視線を送っている。ここで実乃梨を否定する様な発言は
もはや絶対にできない。

「分かった… しかし…」
「高須君! また大河に拒絶されるんじゃないかと思ってるんでしょ。だから最初に私が行く。
女子ソフトボール日本代表の1番打者、この櫛枝実乃梨がね。私はきっと塁に出る。三振なんかしない。
でも四番打者はキミだ。必ず大河の心を打ちぬいて。大丈夫、きっとできるよ。私には分かる。
キミの想いのままにぶつかれば、必ず大河を説得できる」

かつての想い人にここまで熱く言われて、否定できる人間などいやしない。実乃梨の熱が伝わってきて、
ようやく竜児の中に力が芽生えてくる。大河を救うのに手順や方法ばかり考えていても仕方がない。
まず、大河と共にあらねば。そうだ、ぶつかるんだ、心のままに。一緒に戦うという信念で掴むんだ、
大河の心を、その全てを…

「高須君、来週はXmasだ。私はイブの前の日に行く。高須君はイブの日だ。大河に最高のクリスマス
プレゼントを用意しようよ。サンタは…キミだぜ!」
実乃梨がウインクしながら、親指を立てて、同意を求めてくる。

「ああ、任せとけ! 俺がやらなきゃ、誰がやるんだ!」
竜児は実乃梨にサムアップを返すと、力強く頷いた。

「じゃ、次の一手はこれで決まりかな? 私もあんた達ならできると思うよ。かつてのパパ役、
ママ役、子供役なんだから、あんた達で破れなきゃ、きっと他の誰にも無理だと思う。私はまた
海外ロケで来週いないけど、何かできることがあったら言って」
自分が加われないことの悔しさを押し隠しながら、亜美も竜児と実乃梨を勇気づける。

「あとみんな、続けて考えようよ。狩野先輩に“てめぇらごとき”なんて言われっぱなしじゃ、
悔しいじゃない。私達だからできることが何かあると思うよ」
そう言って、亜美は挑戦的な視線をすみれに送るのだった。



「ほう、いい目してるじゃねぇか。やれるもんならやってみろ。但し、覚悟と自信がなかったら
決して無理をするんじゃねぇぞ。このヤマは大きく動いたら、二度と引き返せない。いい加減な
やり方なら、私が断固阻止するぞ。だが、やる時は徹底的にやるがいい。私も微力ながら考えよう。
逢坂を救い出す方法を…」

そして、すみれがさっき言った「あきらめろ」は、安易な考えしかできなかった自分達への檄だったことを
その場にいた全員が知るのだった。


* * * * *


「さて、こっちが固まったところで、もう1つ対策が必要だな」
すみれは竜児の方を振り返ると“分かってるんだろうな?”という視線を送って来た。

「え、もう1つ…って?」
「馬鹿野郎、ヤクザだよ。高須、お前はもうマークされてんだろ? 自宅の場所だって連中は
知ってるだろうし、盗聴だってやりかねない。そんなところにのこのこ帰って、また掴まりたいのか?」

「そ、そうだった…」
再び竜児の背中に嫌な汗が流れ出す。そしてあることに気がつき、襲われた時よりも、
ずっと恐ろしい想像を引き起こした。

「泰子…… 俺はまた明日から地方の研修所に戻って、12月一杯はずっとあっちなんだ。
大河を救うのには都合がいいけど、その間、泰子は誰が守るんだ…」
泰子が危険な目にあう恐れがあるのなら、とても1人はしておけない、いっそのこと一度捕まって
泰子は無関係だと話した方がいいのか? すみれが言う、汚いのやり方とはこういうことか。
自分が踏み込んだ領域が引き起こす影響をリアルに感じて、竜児は動悸が激しくなるのを感じた。

「安心しろ、高須。ちゃんと対策は考えてきた。警察に行け」
竜児は小さな目をほんの僅かに丸くして、すみれを見た。
「狩野先輩、さっきは警察はまだ早いって…」
「ばーか。人の話は最後まで聞くもんだよ。何も逢坂のことで警察に行くんじゃない。ストーカーに
狙われているとでっちあげるんだよ。かのう屋が狙われた時に私が使った手だ。
連中はいきがっていても、警察の目に触れるのは苦手だ。警察もか弱い市民が被害を訴えれば、
一応、何かの動きはするだろう」

「ひょえー、さすが兄貴、頭いいー。でもそんなんで警察がボディガードをしてくれるわけ?」
春田が感心しつつも、疑問をつぶやいた。
「なに、たまのパトロールで見回りが来て、警官の姿を見せるだけでも抑止になるんだよ。
といっても高須、てめぇのツラじゃ、ストーカーには狙われねぇよなぁ」

「いや、意外とマニアックな人がいるかもよ。高須君、結構いい身体してるし。勿論、お・と・こで」
「うふ、亜美ちゃんたら… でも慕ってくる後輩とかいるかもー」
かつてストーカーの被害にあったこともすっかり忘れて、亜美が奈々子といたずらっ子のように、
チャチャを入れてくる。
「あー、そこ、外野うるさい。ということはだな、高須のお袋さんに嘘の被害届を出してもらわなきゃ
ならないんだが、どうだ? できそうか」

「いや、それはダメです。泰子に何故嘘の届けをするのか、説明が必要ですよね。それには大河のことを
話さなきゃいけない。まだ泰子には伏せておきたいんです。もし大河の状況が分かったら、泰子はきっと…」

「ということらしいが… 祐作、お前の読み通りだな」
「ま、付き合いの長い友ですから、それぐらいの思考は読めますよ」
「で、これが必要になってくると…」
北村と謎の会話を交わすと、すみれは、さくらが弁財天国に来た時に持っていた紙袋を引き寄せた。

「さくら、ちょーっとこっちに来い。こっち向いて、そこに座れ」
「えっ?」
何か嫌な予感を感じたのだろう、さくらは怯えた様子を見せるが、姉には逆らえず、言う通りに座った。



「ピンクのグロスは幼く見えるから、落としてだな。この赤のルージュで」
「ちょ、ちょ、ちょっとお姉ちゃん、何するの?」
「何って? ただの人助けだ。黙って座ってろ。よし、まぁ、メイクは簡単でいいだろう。そして仕上げは…」
そういうとすみれは紙袋の中から、金髪に近い明るい色の、ふわりとしたロングヘアーのかつらを取り出して、
さくらの頭にポンと載せた。

「さくら、そのままの恰好で、”えぐえぐぽええーん”って言ってみろ。ちょっと、こう、胸を寄せてな…」
「え? 何それ、えぐえぐって一体?」
「つべこべ言わず、やってみろ! ほら、立て」
「え…、えぐえぐぽええーん… ってこう?」

「「「「「おおぉぉぉぉー」」」」」
そこには竜児がまだ小学校に入る前ぐらい、夜遅くまで託児所に預けられ、足音に耳を澄ませていた頃に、
瓜二つの泰子の姿があった。しかし、この姿を泰子が見たら…

「ほぉ、なかなかいい出来映えだ」
「似てるぞ、確かに泰子さんに見える。思っていた以上だ」
すみれと北村は自分達の発案ながら、予想以上の成果にご満悦。
「なんか胸のあたりが、特に似てね?」
春田は臆面もなくエロ発言。
「狩野先輩、もっとメイクも大人っぽいのに凝りましょうよ。あと衣装も替えられるといいのに…」
すみれの意図を理解し、触発された亜美が、メイクキットを漁りだした。
すかさず、奈々子と麻耶が寄って来て、アイラインはどうだの、チークはこうだの、と盛り上がり始めている。

1人冷静な幸太が抗議の声をあげている。
「ちょっと皆さん、何言ってんですか? さくらちゃんはさくらちゃんですよ。誰にも似てません!
春田先輩、いやらしい目でさくらちゃんを見ないでください。高須先輩まで、なに目を潤ませてるんですか! 
不幸呼びますよ!」
「え、あ、すまん… いや、俺が子供だった時の泰子をちょっと思い出しちまって… 」

タイミングがいいのか、悪いのか、泰子が食後のデザートを持ってやってきた。
「はぁーい、みなさーん、アイスクリームだよ…… あれー? もう1人やっちゃんがいるー。
私はやっちゃんだよね。あっちも…やっちゃん? やっちゃんが2人? どっちが本物? あっちの方が
ちょっと若い? あ、分かった昔のやっちゃんがタイムスリップしてきたんだー。こんにちわ、昔のやっちゃん。
これからとーってもいいことがたっくさんあるよ!」



「いや、泰子、こ、これはだな…」
「泰子さん、今、物真似大会やってるんです! ところでこの店に泰子さんの服は置いてないですか?」
「あるでガンスよ。たまーに、毘沙門天国にヘルプに行く時のお洋服が厨房の奥のロッカーに…」
「ウソ、やったっ! ちょっとお借りしまーす」
亜美が一般人の目に触れるのも厭わず、泰子の洋服を借りに厨房へ走っていった。

「はーい、これから着替えるから、男子は退出退出ーっ」
麻耶がさっさと男共を追い出しにかかる。
「やれやれ、こうなったら、誰も止められないな」
能登があきらめたように、さっさと外へ飛び出す。
「いやー、お化粧とかは良く分からんぜよ」
と男子と一緒に外へ出てきた実乃梨は、やおら春田を掴まえると、ごにょごにょと何かの相談中。
春田は「オッケー! 櫛枝っち、きっと大丈夫だよ」と能天気な返事をしている。

「いやーん、やめてー、脱ぐから、自分で脱ぐから、いやー」
さくらのひときわ高く刺激的な悲鳴が、閉め切った襖の向こうから聞こえてきた。

「やっぱり不幸になるんだ… このメンツだと」 
幸太1人、おもちゃにされる恋人を守れず、がっくりと床に手を付いて、落ち込んでいた…


* * * * * 


結果的には、さくらによる泰子替え玉作戦は、思いの他うまく行った。
変装が終わった後、仲間たち全員で警察署に向かい、生活安全課の警察官に事情を説明した。

現役を退いたとはいえ、地域唯一のスナック「毘沙門天国」のかつてのママとして「永遠の23才」の
異名を古参の上司から聞かされていた若い警察官は、ストーカーに狙われているというでっちあげを
容易に受け入れ、地域のパトロールコースに暫くの間、高須家が組み入れられることになった。

後に噂が大きくなり、稲毛酒店の主人をはじめ、毘沙門天国のかつて常連さんが、弁財天国を閉めた後の
泰子を交代で毎日自宅まで送ってくれるという効果もあった。

泰子が「ストーカーさんなんか知らないでガンスよ」と言っても、
「あいかわらず魅羅乃ちゃんは奥ゆかしいねー。いやいや遠慮しないで」
と取り合わってもらえなかったので、疑問に思いながら、
「ま、いいっかー、おしゃべりできて楽しいし、竜ちゃんいなくて淋しいし」と好意に甘えていることになった。

こうして、泰子に大河やヤクザの件の疑いをもたれずに、自宅周辺を警戒することができた。
細かいことにこだわらない、泰子のボケ、いやおおらかな性格に、竜児は改めて感謝するのだった。

さあ、大河を取り戻す準備はできた。あとは未来に向かって、一歩を踏み出すだけだ…


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